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2014-12-01 00:00
「イスラム国」をめぐる2つの見解について
袴田 茂樹
日本国際フォーラム評議員
イスラム過激派の「イスラム国」の脅威が、国際的に問題になっている。このイスラム国の国際政治的な位置付けには2つの相異なる見解がある。それについて考えたいのだが、その前にまずイスラム国についてごく簡単に述べたい。「イスラム国」はイスラム過激派の組織あるいは運動であるが、地理的にもシリアとイラクにまたがって国家を超えた形で存在している。「国」と名乗っていても、従来の国家とは質的に異なる。イスラム国はインターネットなどを通じて世界各地から「聖戦の戦士」を募っており、実際に、欧米諸国やロシア、中央アジアなどから何千人もの人々が「イスラム国」に馳せ参じている。各国はこれらの人々がやがて帰国して、自国でテロ活動をすることに神経を尖らせている。「イスラム国」がいったん登場した以上、このグローバルな脅威は、シリアやイラクあるいは他の国々が、それぞれの国の単位で対応できる問題ではなく、新しいグローバルな対策が必要である。
これに対する2つの見解について説明したい。第1の見解は、次のようなものだ。現在の「イスラム国」の現象こそ、21世紀のポストモダンの政治を典型的に示している。19世紀、20世紀までの近代(モダン)の時代に国際政治で中心的な意味を有していたのは、国民国家や国家主権、領土、国境などで、また安全保障面では国家を単位とする伝統的な軍隊だった。グローバル化が進展する脱近代(ポストモダン)の21世紀においては、国家という枠を超えた諸現象が多くなり、したがってそれに対応する方策も、国家単位では不可能になっている。例えば人類が対応すべきリスクも、地球温暖化、サイバーテロ、9.11同時多発テロ、イスラム国などのように、国家単位では対応しきれないものが増えている。これらのリスクに対する安全保障に関しても、国家や国防軍の単位ではなく、つまり伝統的な防衛力ではなく、従来とは質的に異なる新たな対応が重要となる。
第2の見解は以下のようなものである。たしかにグローバル化が進展している21世紀には、国家という枠を超えた諸現象が多くなっているのは事実だ。そして、それに対する対応も従来とは異なった方策やアプローチが必要というのも間違いではない。それを否定するわけではないが、しかし21世紀になっても、国際秩序の基礎はやはり安定した主権国家体制であることに変わりはない。たとえば、今日の「イスラム国」の場合でも、もしシリアやイラクが安定した主権国家であったならば、つまり両国の政府がそれぞれの国を安定的に統治していたならば、そもそも「イスラム国」は存在し得なかった。
別の件だが、「クリミア併合」問題や今日のウクライナ東部の混乱も、同じである。ウクライナ政府も13万人のウクライナ軍も、腐敗・汚職にまみれていて、まともな政府や軍の体をなしていなかった。同国がもし安定した国家であったならば、すなわち、もしウクライナに5~6万でも優れた装備と士気の高い国防軍が存在していたならば、次のことを確言できる。つまりそれが抑止力となって、「クリミア併合」事件もウクライナ東部の今日の混乱も起きていなかっただろう、ということである。私は、ポストモダニズム論を全て否定するわけではなく、そこに多くの真実が含まれていることも率直に認める。しかし、ここに述べた2つの論を比較した場合、筆者は後者の論の方がより素直に納得できる。そして、今日のウクライナの混乱や南シナ海、東シナ海における国際紛争に対しては、近年先進国を席巻したポストモダニズム論の楽観的な国際認識や政治論にもかなりの責任があると考えている。
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