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2015-01-26 00:00
(連載1)アメリカの「世界の警察官」退任発言について
河村 洋
外交評論家
オバマ米大統領が「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と発言したことについて、それを歓迎する声は今ほとんど聞かれない。イラク戦争を批判した者達さえも、オバマ発言のあまりの唐突さには当惑している。アメリカは本当に「世界の警察官」から降りる気なら、その責任の一部でも分担できるパートナーを指名すべきであった。歴史を振り返れば、アメリカはベトナム戦争後においても、国際的な関与を弱める意図を表明したが、当時アメリカを率いていたニクソン米大統領はオバマ大統領よりもはるかに責任ある行動をとっていた。すなわち、ニクソン・ドクトリンはベトナム戦争のベトナム化を表明したものであるが、ニクソン大統領は同盟諸国に広まるポスト・アメリカ世界への不安を宥めるため「アメリカは条約上の義務を遵守し、同盟国が死活的な安全保障上の権益を脅かされれば、支援する」とのメッセージを発した。両者の顕著な違いが見られるのは、中東政策においてである。
ニクソン大統領は、自らのドクトリンを公表してからほどなく、パーレビ王政下のイランを「ペルシア湾の憲兵」として盛りたてるための支援に乗り出した。このことが典型的に表れているのは、ニクソン政権がイラン帝国空軍の強化に対して行なった好条件で迅速な支援である。1970年代初頭のイランはソ連による領空侵犯に悩まされていた。特に高速で飛行するミグ25戦闘機は、イラン空軍のF4戦闘機では侵入を阻止できず、イランはソ連空軍のなすがままに偵察され放題であった。そのため、パーレビ国王は1973年7月にワシントン郊外のアンドリュース空軍基地でニクソン大統領と会談した。ニクソン氏は「F14かF15のどちらでも選ぶように」と、同基地での飛行デモストレーションにシャーを招待したのである。両機の飛行を見たシャーは躊躇なくF14を選択した。
帰国したパーレビ国王は翌年1月に30機のF14を発注すると、6月には矢継ぎ早に50機のF14をAIM54フェニックス・ミサイルとともに発注した。ニクソン政権の迅速な行動によりイランは1976年1月に最初のF14を受け取り、それとともにイラン空軍のパイロットもアメリカから集中的な訓練を受けた。その結果は目覚ましい成果となった。1977年8月にはイラン空軍のF14がフェニックス・ミサイルの発射テストで無人機を撃墜し、ソ連空軍の領空侵犯に対するイランの防空能力の高さを誇示した。それ以来、ミグ25がイランの領空に飛来することはなくなった。ニクソン大統領がイランを支援したのは、イランが自国を防衛できるだけでなく、「ペルシア湾の憲兵」として地域においてアメリカの代役を務められるほど軍事力を備えるまでになったからである。この件から我々が学ぶべき重要な教訓は、アメリカが世界への軍事的な関与を削減できるのは、その地域に強固で信頼性の高いパートナーが存在する場合だけだということである。
上記の歴史的事例と比較すると、オバマ米大統領が「世界の警察官」から降りると発言したことは、著しく思慮に欠ける発言であった。ニクソン政権と違い、オバマ政権には、中東の地域安全保障でアメリカの責任を委譲できるほど信頼できるパートナーはない。特にその対イラク政策は稚拙をきわめ、イスラム国ISISの台頭に見られるように、地域はその不安定度を深めている。ニクソン政権はパーレビ王政下のイランが「地域の警察官」の役割を担えるほどの対イラン支援をしたが、オバマ政権はイラクの治安部隊の再建も行なわずに撤退してしまった。湾岸戦争勃発時にサダム・フセインが空軍機の多くをイランに疎開させ、残りの空軍機もイラク戦争で破壊されてしまったので、イラク空軍は実質的に存在しなかった。よって、アメリカがイラクから撤退するためには、イラク空軍の地上攻撃能力の再建が必要不可欠であった。(つづく)
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