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2007-02-02 00:00
国連「軍縮局」消滅は当然の帰結
吉田康彦
大阪経済法科大学客員教授
国連職員10年の経験から表記について私見を述べたい。潘基文新国連事務総長は就任いらい事務局改組に取り組んでいるが、独立した局としての「軍縮局」を事務総長直属の「軍縮部」に格下げする方針を決めたようである。これに対しては、各国の軍縮推進論者、反核活動家からいっせいに抗議の声が上がっており、日本でも外務省に格下げに反対するよう要望する動きが出ているが、これは国連の実態を知らず、核軍縮に国連が中心的な役割を演じていると素朴に信じている人びとの夢想と幻想にもとづく行動である。
軍縮局は、1978年の第1回国連軍縮総会を機にニューヨークに軍縮センターとして発足、1982年の第2回、88年の第3回総会を通じてNGO(非政府組織)が発言権を強化、米ソ冷戦下における反核運動の世界的な高まりを反映して「局」に昇格したが、明石康氏が広報局担当事務次長から軍縮局担当事務次長に「横滑り」した89年当時、スタッフわずか15人の最小の局で、明石氏は「配所の月」を眺める心境だった。広報局も事務局内では傍系だったが、全世界に800人のスタッフをかかえる大所帯だった。「軍縮局」新設はデクエヤル事務総長(当時)が反核NGOと非同盟諸国に迎合した改組で、内情を知らない日本人は国連における軍縮重視の表われとして歓迎したが、事務局肥大化と非効率化の側面をもたらした。
軍縮における国連の役割は、非公式接触の場の提供、公式会議の設営、資料・文書の準備と保存などの裏方以上のものではない。軍縮を進めるのも後退させるのも加盟国だ。いくら「軍縮局」が存在し、専任の事務次長がいても、たとえば米国が立ちはだかったら、いかなる提案も計画も葬られる。2005年5月のNPT(核不拡散条約)再検討会議は決裂したし、そのあと9月の国連創設60周年記念総会における成果文書から軍縮関係の記述が全文削除されたのは記憶に新しい。削除はボルトン米国連大使(当時)の「ツルの一声」によるものだった。
「局」が「部」に格下げされても、予算規模は減らない見込みだという。事務総長直属になることの利点もある。事務総長を直接動かせばいいのだ。無能で、やる気のない事務次長が「配所の月」を眺めているよりも、やる気満々の軍縮部長が就任することの方がよい。かつてホワイトハウスにも、キッシンジャーとかブレジンスキーという大物補佐官が国務省や国防総省を飛び越えて大統領を動かしたではないか。まだこれといった成果は挙げていないが、安倍内閣にも意欲的な首相補佐官が勢ぞろいしている。国連事務局にもかつてやり手の補佐官が各局の頭ごしに事務総長を動かしていた例は枚挙に暇がない。
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