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2015-04-18 00:00
(連載1)伊藤憲一先生の「『国際平和』へ進化した安保議論」を読んで思う
加藤 成一
元弁護士
平成27年3月24日付け『産経新聞』の「正論」欄に国際政治学者である伊藤憲一先生の論稿「『国際平和』へ進化した安保議論」が掲載されています。
一読して、大きな感銘を受けましたので、その感想を取りまとめてみたいと思います。
伊藤先生の主張するところは、一言で要約すれば、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という憲法9条1項の冒頭の一節こそが日本国憲法の平和主義の前提条件であり、その逆ではないということです。日本人が戦争を放棄するとしても、それは「奴隷の平和」を甘受するからではなく、「正義と秩序にもとづく平和」を求めるからであるという主張です。日本国憲法の平和主義は「積極的平和主義」であって、「消極的平和主義」ではない、との伊藤先生の年来の主張は、ここに憲法上の根拠を持っています。
意外なことに、憲法9条1項のこのような根源的解釈は、これまでいかなる憲法学者も政治学者も(右も左も)まったく主張することのなかった独創的なご見解です。日本共産党をはじめとするいわゆる「革新政党」には、このような9条1項の認識は微塵もなく、ひたすら「戦争放棄」、「平和主義」、「9条死守」を叫ぶのみでした。政権を一度獲得した経験をもつ民主党にも、さらには与党の一角を占める公明党にすら、「奴隷の平和」ではなく、「正義と秩序にもとづく平和」を求めるとの発想や覚悟はありません。だから、いずれも集団的自衛権の行使や集団安全保障への参加に消極的です。伊藤先生の主張されるとおり、「日本の平和」のみならず「国際の平和」にも貢献する「積極的平和主義」こそが、憲法前文及び憲法9条の精神であることを、あらためて確認させて頂きました。願わくば、政権政党である自由民主党安倍政権の進める「積極的平和主義」が、日本の外交安全保障政策として実を結び、末永く定着することを切望するものです。
「消極的平和主義」ではなく、「積極的平和主義」こそが日本の平和主義の出発点なのだという、伊藤先生の主張は、ややもすれば受け身で、防御的になりがちな日本の保守主義者たちの外交・安全保障論を勇気づけるものです。日本ではじめて「積極的平和主義」を提唱されたのが伊藤先生であることは、先生のご著書である『二つの衝撃と日本』(1991年、PHP研究所)や『新戦争論:積極的平和主義への提言』(2007年、新潮新書)」を読めば自明ですが、伊藤先生の「積極的平和主義」のご提唱が、大変な抵抗や反撃を受けながら、今日まで自説を曲げないできたのは、伊藤先生の日本国を思う勇気と気概によるものであり、敬意を表したいと思います。(つづく)
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