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2015-05-11 00:00
ウクライナとドイツの歴史上の因縁を探る
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
モスクワで5月9日に行われた対独戦勝70周年式典には、主要7カ国(G7)の一員として、他の米欧首脳と足並みをそろえて欠席したドイツのメルケル首相であったが、その翌日には、ドイツ首相として単独でモスクワを訪ね、クレムリン近くの無名戦士の墓にロシアのプーチン大統領とともに献花した。メルケル首相のモスクワ単独訪問の目的は、ウクライナ情勢協議であると報じられている。親ロシア勢力のクリミア侵攻に始まるウクライナ問題で、このようにメルケル首相の行動が突出しているのは誰の目にも明らかだ。それはドイツには、ウクライナとの歴史上の因縁が深く絡んでいる事情があるからだ。
ドイツには信仰や貧困から父祖の地を逃れ、東方各地に移住した古くからの歴史がある。その一例が「ボルガ・ドイツ」人の存在だ。帝政ロシアの誘致もあり、古く18世紀にボルガ川下流域に移住を始めたその子孫は、その後歴史の波にもまれ、ロシア内で民族大移動を余儀なくされた。有名な第二次大戦でのスターリングラードの戦いは、そのボルガ下流域の拠点。戦後ドイツでは「再統一」(1990年)直前の西ドイツ時代から、ソ連各地のボルガ・ドイツ人が続々と”帰国”し、その後の新生ドイツ誕生後も社会問題となった。その根っこはいまも残っている。
さらに、父祖はポーランド人のメルケル首相だが、歴史的にポーランドはウクライナを支配し、二十世紀初めにはポーランド・ウクライナ戦争もあった。あるいはウクライナ問題解決への願いは、メルケル首相の個人的血脈が一因となっているのかも知れない。
またウクライナにもつながる話だが、依然ロシアに居住するボルガ・ドイツ人について、新生ドイツは「ボルガ・ドイツ人自治共和国」(20世紀初頭)の復活をロシアに提案したが、実現を見ていない。東欧に祖先を持ち、東ドイツで育ったメルケル首相。東ドイツに駐在歴があり、ドイツ語も巧みなプーチン大統領。その縁が、メルケル首相の対独戦勝式典翌日のロシア訪問だったかも知れないが、それ以上にいまや大国に復活したドイツには、歴史的な存在である「ボルガ・ドイツ」になんらかの手がかりを残したいという思惑があるのかも知れない。こうした民族の移動に絡む事象に、実は日本も無縁ではなかった。最近ではプロイセン・ビスマルク時代に、ドイツが北海道を購入しようとする計画があったことがわかっている。
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