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2015-05-15 00:00
明治日本の産業革命遺産について思う
船田 元
衆議院議員
先日、ユネスコの諮問機関であるイコモス(国際記念物遺跡会議)から、明治前期の産業革命に貢献した23の資産が、世界文化遺産にふさわしいと勧告された。今後ユネスコの専門家会議で精査されて、7月には最終決定されるという。製鉄、造船、石炭産業など、ものづくりに直接関わった施設が多いが、中でも異色なのが長崎のグラバー邸と萩の松下村塾である。グラバーはスコットランド出身の武器商人だったが、明治維新後は造船所や高島炭鉱の経営に携わったことから選ばれた。吉田松陰の松下村塾は、維新後の日本の近代化を支えた多くの人材を輩出したことから選ばれた。
地理的には福岡県、長崎県、佐賀県、熊本県、鹿児島県といった九州に集中しており、後は山口県と岩手県、静岡県に存在する。岩手県は釜石の高炉跡、静岡県は伊豆韮山の反射炉である。昨年は同じ産業遺産として、群馬県の富岡製糸工場が世界遺産に選ばれたので、東西のバランスが取れたのかも知れない。このようなイコモスの勧告に対して、韓国からクレームが出されてしまった。太平洋戦争の一時期、併合されていた韓国から強制徴用された人々が、これらの施設で働かされた歴史があり、世界遺産として相応しくないという主張である。歴史的事実は認めざるを得ないが、イコモス指定の対象年代は1850年から1910年にかけての間であり、時期がずれている。このことを日本政府は丁寧に説明する必要がある。
一方、私たちの栃木県には、銅鉱石の採掘と製錬で繁栄した足尾銅山がある。既に廃鉱となり、跡地は観光スポットになっている。しかし長年にわたり製錬の過程で生じた亜硫酸ガスのため、周辺の山々が禿山状態となった。ボランティアも含めた植林活動が続いているが、まだまだ原状復帰とは行かない。さらに坑道から流れ出た有機水銀が、渡良瀬川を下って下流の谷中村の人々に被害が拡大し、地元の政治家・田中正造が明治天皇に直訴するなど、いわゆる足尾鉱毒事件の原因となった。我が国の公害の原点とも言われている。
足尾も産業遺産には変わりかないが、余りにもマイナスのイメージが先行しており、前向きの世界遺産に指定してもらうのは不可能だろう。しかし考えようによっては、公害の原点と言われる場所を、多くの人々の努力によって緑豊かな山々に戻したということで、「公害修復遺産」に選ばれるかも知れない。
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