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2007-02-07 00:00
集団的自衛権等を巡る「呆守」の克服が「保守」の課題だ
岡本幸治
大阪国際大学名誉教授
憲法のどこを見ても集団的自衛権を否定する文言はないのに、これを違憲とする行政官僚の解釈がまかり通ってきた。顧みれば占領初期には、自衛権そのものも憲法上放棄しているという解釈だった。ところが朝鮮戦争勃発によって米国の対日占領策が非軍事化から再軍備指令へと変化を遂げた。主権なしの日本政府もそれに調子を合わせて第9条の解釈を変え、警察予備隊という名の軍隊の卵の創設を正当化した。凍結していた芦田修生を活用して、第9条は自衛戦争まで否定してはいない、ということになったのである。
ひとたび自衛権が違憲でないとなれば、その行使を個別にするか集団で行うかは行政府の政策問題であり、裁判所とは関係がない。角田氏のように内閣、国会を通ってもまだ裁判所があるよ、違憲審査があるよ、集団的自衛権は滅多なことで承認はされませんよと言うのは、集団的自衛権を何とか認めさせないでおきたいという底意があるのかと疑われる。
高度成長に成功した60年代以降自民党が行ってきたのは、野党との政治的対立を招くような案件は可能な限り回避して、経済成長に注力し、その果実を有権者にばらまいて支持を拡大することであった。党綱領に掲げていた憲法改正は戦後日本の歪んだ背骨の是正には不可欠であるが、もっぱら対症療法で乗り切ろうとした。つまり、具合が悪ければ解釈で凌ぐことの得意な、膏薬貼りに長けた老獪な政党に成長?した。内政だけではない、外交問題も靖国や歴史認識問題も、この方式で凌いできたのだ。
この間に、かつては現実を直視して問題提起を行い、必要あらば改革を行うことのできた本来の「保守」党は、万年与党の心地よさに身を任せている内に、次第に現実追随を主とする「呆守」党と成り下がった。その体質は未だに存在している。先例重視の官僚たちと同類の糖尿病にかかったのである。小泉変人首相はショック療法でこの病の克服に取り組んだが、安倍首相の課題は、根本療法をもって膏肓に入った宿病に対峙し、必要とあればメスを揮って患部の切除を断行することだ。歴史認識に関する村山談話、慰安婦に関する河野談話などもその類。集団的自衛権違憲論は、首相の指揮命令下にある行政官僚の解釈に過ぎない。改むるに憚る事なかれ。
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