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2015-06-17 00:00
憲法学界の中で育てられてきた人たちとその憲法解釈
玉木 洋
大学教員
6月12日付けの杉浦正章氏投稿「安保法制違憲の疑いは解消した」、6月16日付け牛島薫氏投稿「憲法学者の違憲発言に動揺は不要」に共感する。「法的安定性は重要であり、むやみに憲法解釈を変えるのは妥当でない」というのは一理はある。しかし、法文が許す範囲、あるいは法文の本質的な意味の範囲で、解釈が変わるべき場合があることは、各種の法律でも、そして憲法でも当然である。現に憲法の解釈もこれまでさまざま変化があったことは牛島氏の指摘する通りである。そもそも日本国憲法が占領下において制定されたことの当否や、それによる有効性の議論はおくとしても、客観的情勢の変化に対応した解釈の変化が許されないはずはない。自衛のために必要な最低限の行為まで禁じられているはずがないことは、砂川判決が示すとおりであり、自国を守るための最低限の範囲が変化した場合には、「最低限」の具体的な内容が変化するのは当然であろう。
「我が国に直接の武力攻撃がある際だけ対応すれば、最低限はクリアできる」と考えられていた状況がかつての状況であったが、現在の状況はそうではない、そういう認識に立つのであれば、我が国への直接の武力攻撃がない存立事態に対する対処も、我が国の防衛のために必要な範囲であれば、自衛の範囲で憲法の許す範囲内である、という政府の解釈は、現実の必要性を踏まえた妥当な憲法解釈であると言いうるであろう。長谷部教授の違憲論は、要するに「従来の政府解釈を越えるので違憲。従来の解釈を越えるのは法的安定性を欠くから許されない」という趣旨と解されるが、状況が変わった時に憲法解釈が変わること自体はありうることは当然である。問題は、そのような解釈が実質的に間違っているかどうか、ということではないだろうか。
憲法学者はほぼ揃って違憲論を言っているが、これは別に驚くことではない。自衛隊が違憲であるといい、安保条約が違憲であるといい、それらについては、合憲性を認める場合であっても、自衛権の行使は自国への攻撃の場合のみの最小限に限るといい、「集団的自衛権(の行使)は憲法違反である」という結論を導く論理を長年組み立ててきたのが、憲法学者の大勢だからである。
そのような師匠に付いて憲法を学び、研究し、そのような学界の中で育てられ、認められてきた人たちが、今の憲法学者である。それを踏まえれば、これまでの憲法学がこれまでの事実やこれまでの議論に基づいて積み上げてきた論理の結論と、異なる結論は、学者にとって受け入れやすいものではないであろう。そのことは推察できる。憲法学者には「平和憲法を守ることで、日本の平和を守りたい」という純粋な気持ちから憲法学者を目指した方々も多かろうからなおさらである。だが、新しい事態の中で、虚心に事実と法文を見つめれば、政府の解釈が憲法に適合するという結論の論理性、合理性は十分に理解できるのではないかと、私は考える。
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