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2015-06-18 00:00
違憲論者は代案を提案できないなら改憲を主張すべき
玉木 洋
大学教員
安全保障法制の法案については、多数の憲法学者や野党等が違憲であるとしてこれに強く反対している。その場合、憲法違反でない形で日本の国民と国家を守るために必要な政策・法制が実現できる論理を併せて提示しなければ、責任ある態度とはいえないであろう。反対派政治勢力の代表である民主党の岡田克也代表は6月17日の国会での党首討論でそれらしきものを述べたようである。が、十分なものはなく、安倍総理からの「公海上で日本のために警戒監視に当たっている米艦が攻撃されても守らなくてよいのか」との問いに答えはなかった。憲法学者は政策を提案する責務があるわけではないが、しかし、国民や国家を守るために必要という趣旨で提案された法案が違憲であると主張し、実際にその廃案を目指すための積極的な発言をするのであれば、何らかの意味ある現実的な対案が実現可能となる憲法論を示さなければ、やはり無責任のそしりは免れないであろう。
すなわち、安全保障法制の廃案に向けてこれを違憲と主張する違憲論者は、(1)その法案がなくても安全保障に支障がないことを説明するか、(2)自己の主張する憲法解釈の枠内での必要な安全保障措置を実現する提案をするか、(3)安全保障に必要な法案が違憲であるなら、それが違憲にならないように憲法改正を提案するか、のいずれかの行動をとるべきである。(1)や(2)の主張が形の上ではなされていると思われなくもないが、実質的になされているとはいい難い。違憲論の憲法学者に支えられているはずの違憲説の最大の政治勢力のトップである民主党岡田代表の主張も冒頭指摘の程度に止まっているのが現状である。
違憲を主張する憲法学者は、「憲法の本質的部分は改憲が許されない」等の主張をして、改憲も拒むということになるのかもしれないが、「自衛に必要な措置であっても、従来の政府見解を超えることは違憲である」としてこれを認めず、改憲も認めないというのであれば、国民に自殺を求めるようなものであって、それではまさにいわゆる「憲法栄えて国滅ぶ」ということになってしまう。国連憲章も世界の大多数の憲法も現在の法案よりもはるかに広い集団的自衛権を認めているのだから、自衛のために必要な措置を実施し得えない憲法なのであれば、客観情勢を踏まえて国民の選択によりそのように憲法を改正することまでも許されない、とする立論には全く根拠はない。
今必要なことは、国際情勢の現実の中で、自衛に必要な行動とそのために必要な法的許容範囲を明確にすることであり、それを実現していくことであろう。自衛のために必要な最低限の行動は現行憲法9条に適合するというところから法案は合憲であろうと私は考える。しかし、この法案を違憲であるとし、廃案を主張する論者が上記(1)または(2)の主張を十分にしているのであれば別だが、そうでないなら、必要な政策・法制の実現を妨げている憲法の条項(9条)を改正することを主張すべきであろう。そうでなければ、そのような憲法学者は、事実と論理をもって研究し、主張しているのではなくて、単に現行憲法の条文とそれについてのこれまでの憲法学者の解釈論を守りたい、という主観的目的のために研究し、主張していることになってしまわないだろうか。そしてそのような議論は、国民の利益にとって大きな害をもたらすものであり、また、真の意味での立憲主義からの帰結でもなく、理論的・学問的にも妥当なものではない。
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