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2007-02-12 00:00
入学試験には効用がある
大藏雄之助
評論家
スタート時点でよい職業につけるかどうかで一生の運命が決まる……だから一流の大学を出なければならない……それには偏差値の高い高校に入るのが早道で……そのためには中学校から……小学校から……ということで「お受験」現象が現れた。その反省から「ゆとり教育」が実現した。しかし、それは受験競争を緩和することにはならず、学力低下をきたして、目下見直し必至である。
資本主義社会でも共産主義社会でも、先進国でも発展途上国でも、現代の世界はすべて学歴主義である。欧米諸国で激しい受験競争がないのは、日本のセンター試験を強化した形の、一種の高校卒業資格試験の成績と内申書によって、大学側が合否を判定するためで、そこにいたるまでの間に毎日激しい競争が行われていることは変わりない。
現在の日本の制度では、高校間には明らかに学校差があるので、それぞれの受験生の学力を客観的に判定できない。したがって大学ごとに一発勝負の入学試験を実施するほかはない。多くの高校生がいくつもの大学に出向いて学科試験を受けるというこの方式は、受験生のエネルギーの消耗度が大きく、金銭的にも壮大な浪費であるが、学科内容の習得という点では無駄とは言えない。
入学試験以外の学校生活でも、生徒たちは、中間試験だから、あるいは期末試験だから、と言って準備する。試験というものがなかったら、それまで習ったことを整理して記憶し直すことを怠る者も少なくないだろう。最近「考える力」が強調されるが、思考には知識が必要であり、知識の蓄積には記憶が欠かせない。受験期の二十歳前後は何でも覚えられる最後の年代である。受験勉強が空しく見えるのは、大学入学後に大学が新入生の学力を維持していく努力をしていないためである。私の経験でも、一年生の方が二年生よりも英語も数学もよくできたし、三年生になるとさらに悲惨な状態だった。
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