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2015-08-17 00:00
(連載1)安倍談話は「普通の国」への出発点
鍋嶋 敬三
評論家
戦後70年の安倍晋三首相談話(8月14日)は過去の過誤の教訓の上に「積極的平和主義」の旗を掲げて未来を切り開く決意を示した。国内外の外交、内政の圧力の中でバランスをとった苦心の作である。知日派のM・グリーン氏(米戦略国際問題研究所)は談話について、安倍首相がナショナリストというよりは「実際的な戦略家」であることを示したと肯定的に評価した。安倍談話が世界で注目されたのは「植民地支配、侵略、反省、おわび」などのキーワードだけではない。これからの日本の行方を注目しているからだ。しかし、首相は談話では未来への見取り図について具体的なイメージを示していない。20世紀は「戦争の世紀」だった。第2次世界大戦終結後も戦争と紛争は絶えない。21世紀の日本をどのような国にするのかが日本人全体に問い掛けられている。
東南アジアの有力紙、シンガポールの「ストレーツ・タイムズ」は7月下旬、社説で「世界は日本を普通の国として受け入れる時だ」と主張した。この社説の見出しは「なぜ『安全保障』は禁句(タブー)でないのか」であった。この中で、日本の安全保障強化に対する日本国内の過度の懸念や不安は「嘆かわしい」と断じている。H・キッシンジャー博士は近著(World Order, 2014)の中で、日本はますます「普通の国になりたい」という望みをはっきり示すようになり、「国際秩序におけるより幅広い役割を果たすという再定義」に動いていると述べた。このことがアジアやアジアを越えた広範囲にわたる影響をもたたらすだろうと予測した。
日本は国力相応の役割を世界で果たすために積極的に責任を取ろうとしてこなかった。そこには「平和憲法」のくびきがあった。公布後、70年近くも憲法を改正したことが一度もないという世界でも稀なこの国では、日本を取り巻く情勢の激変にもあえて目をつぶり、外界との関わり合いを極力忌避する「一国平和主義」が国民の中に染み込んでしまったからであろう。海洋国家の日本は元来、内向きの国ではなかった。1300年前、度重なる難破の危険を冒して最澄や空海ら遣唐使を送り、唐からも多くの僧や商人が来航、交流が盛んだった。中国から多くの文物を受け入れ、日本文化を豊かにした。400年前に伊達政宗は支倉常長をスペインに派遣した。しかし、徳川幕府によるキリスト教弾圧、鎖国令によって自由な海外とのかかわりの道は閉ざされた。外の世界に対して本能的に身構える江戸時代の体質は21世紀の今日まで続く。
これからの日本の針路をどう取るのか? ポスト「70年談話」の課題だ。政権の求心力を高めるためにナショナリズム、反日感情をあおってきた中国や韓国という近隣諸国との関係を含めて、新たな国際秩序の形成にどのような役割を果たすのか、という問題である。アジアの国際関係は米国と中国の関係を座標軸として動く。戦後の世界秩序を主導してきた米国に対して新興大国として挑戦者の立場にある中国との間のバランス・オブ・パワー(力の均衡)が21世紀の国際秩序を左右する。キッシンジャー氏は地政学の世界では西側世界で普遍的と見なされ、確立してきた「秩序が岐路に立たされている」と言う。国家主権に基づく国際法など17世紀以来のウエストファリア体制(システム)の普遍性が挑戦を受けているとの認識である。(つづく)
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