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2015-10-06 00:00
(連載1)日本による「限定的核保有」の可能性
加藤 成一
元弁護士
集団的自衛権の限定的行使容認を含む「安保法制」が、9月19日未明に至ってようやく成立した。日米同盟の一層の強化により、日本の核抑止が一段と向上し、日本の安全保障が盤石となることが期待される。しかしながら、将来にわたって日本の安全保障を考えたとき、東アジアにおける軍事バランスがどのようになっていくか、を想定しておくことも重要であろう。
「偉大な中華民族の再興」を目指すという、現在の中国政府による経済成長や軍拡路線が仮に今後も相当期間継続するとすれば、将来アジア・太平洋地域における中国の経済的・軍事的影響力が拡大し、米中間の軍事バランスにも影響を与える事態も考えられるからだ。その場合、日本がすべてをアメリカの抑止力のみに依存し続けることが安全保障上妥当なのかどうかについて、改めて検討しておく必要があろう。
近年におけるアメリカの相対的力の低下、軍事費削減、アメリカ国民の内向き志向や厭戦気分、「米中の新大国関係」進展の可能性、アメリカ自身が「世界の警察官」を退き、自国の安全と国益最優先の外交を展開せざるを得ない国際政治の現実、そして、仮に、日本が核保有国から核攻撃を受けた場合に、アメリカがリスクをとって即座に核による反撃をするかどうか一抹の不安があること、などを考えるとなおさら検討を要するであろう。
そのような国際情勢にあって、仮に将来東アジアの軍事バランスが崩れた場合、中国が軍事力を背景として、東シナ海における尖閣諸島問題やガス田開発問題などにつき、自国の主張を貫徹するために、核を持たない日本に対し、「核による恫喝」などの手段を用いることがない、とは言い切れないであろう。もともと革命以来、力を信奉する中国は、軍事バランスの崩壊による力の空白状態を決して見逃さないからである。そのような場合、日本政府としては、「奴隷の平和」を甘受せず、日本の存立と独立、そし国家の尊厳を守るために、日本国民の納得とアメリカ政府の承諾を得たうえで、アメリカ本土を射程に収めない限定的な「核抑止力」の保有という選択肢も検討の余地があるのではないか。その場合、国民の「核アレルギー」よりも国家の存立を優先すべきは、当然のことであろう。(つづく)
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