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2015-10-07 00:00
もはや「強い米軍」の残像に頼るなかれ
牛島 薫
団体職員
加藤成一氏の本欄への10月6-7日付け投稿「日本による『限定的核保有』の可能性」には、賛成とは言わないが、実質的な議論を行おうという有意義な投げ掛けのように思う。日本の核保有に反対する者は数多いるであろうが、核戦力の導入には軍事的には長いスパンを必要とするものでありそれを踏まえれば、機が熟すのを待つなどといっているのは悠長に過ぎる。「実質的な議論」に入ることを妨げる理由は本来ないであろう。
さて、氏が例えた「核アレルギー」という表現は、まさしく完治が著しく困難という点で医学用語としてのアレルギーに通じるものがあり、的を射た表現である。パックスアメリカーナを享受しているうちは、世論はこの議論を受け入れないであろう。少なくとも戦争を実体験した世代は、核兵器の物理的な被害とそれによって祖国が倒れる瞬間を味わったわけだから、生理的に反対することはやむを得ないところだ。だからこそ、国民的議論を今から喚起し、「議論をすることそのものに国民を慣らしていく」必要がある。アレルギーでいう免疫療法に当たるものだ。でなければ、国土が実際に危機に迫られたときに、合理的な判断はできない。感情的な判断は危機管理においては最も取り除かなければならない。
故に、我々国民はそろそろ現実的な安全保障政策に関する議論を始めなくてはならない。安保法制議論で賛成に回った多くの論者はそういう意味で、現実主義者であろう。とはいえ、そのような層においても、核保有論となると議論そのものを避ける傾向がある。上記のような感情的な国民世論は論壇に大きな影響力を持っている。また、現状では核を持つメリットよりもデメリットのほうが大きいというのも事実だ。確かに旧来の国際秩序を維持できていれば、その通りである。しかし、今後もずっとそうだという話にはならないのも歴史が示している。「激変する国際情勢に対応するため」と連呼していた賛成派諸氏に概して賛意を持ちつつも、なおそこに違和感を感ずるのは、実際の国際情勢が賛成派の考える速度を超える濁流になっているように思われるからである。
70年前、日本は米国によって潰滅した。その経験は米軍の強さに対する国民の頑固な思い込みとなり、皮肉にもそれが逆に憲法9条を軍事的に裏打ちしている。他方、中国の軍事力増大に対する国民の危機感には切迫感がない。深層心理には最強の軍隊としての米軍の残像があり、米軍さえ味方につけておけば日本は「備えなくとも憂いなしだ」という幻想があるからである。しかし、実際には地政学的優位性と技術的進歩により、中国人民解放軍は急激に増強されている。人民解放軍が米軍をグアム、最悪の場合はハワイまで撤退せしめることは将来ありえないことではない。第二次世界大戦時の日本とアメリカの国力差は1対22ともいわれたが、近い将来中国人民解放軍と米軍の戦力差は1対3にまで縮まると言われているからだ。
また、オバマ大統領が「米国は世界の警察官をやめる」といったことを、ただの米国民の内向性の表面化だとか、孤立主義への回帰だとかいう文脈のものではない。オバマ大統領は必要以上に自国を過小評価しているわけではないからだ。そもそも「世界の警察官」とは、第二次世界大戦においてローズベルトが提起した「四人の警察官」という安保理常任理事国の構想が原形になった表現であり、アメリカがその他3か国を誘導できるという自信が背景にあっての構想であった。そのアメリカがいまや当時の自信を失ってきている。そのきっかけは、2002年に米国防総省が行った図上演習であるといわれる。対象国が非対称作戦(「弱者の戦略」)を万全に行った場合、米軍は大損害を被りうるとの結論が出たと言われる。いずれにせよ近時のアメリカの戦争経験が、その結論を支持していると言われる。
かつて日本は、対米戦争に耐えうる国力をもつ前に相手の土俵で戦って、潰滅的な敗北を喫した。ソ連も同様にアメリカと同じ土俵で戦って、崩壊した。中国等は日ソ両国の敗因を徹底的に研究してきた。したがって、中国がアメリカと同じ土俵で戦う準備を始めたように見えることは、中国が日ソ両国と同じ過ちを犯していることを意味してはいない。むしろ、非対称戦に自信を持つに至ったことの裏返しである可能性がある。これに対して、ここ10年アメリカは自国の軍隊の実質的な戦力について考証を繰り返し、自国が現代的な戦争において必ずしも優勢を維持できないという認識をもつに至った。伝統的な戦争においても自信が揺らいでいるのである。それがオバマ大統領の「世界の警察官」発言の背後にある米軍の現実である。
つまり我々が認識しなければいけないのは、「最悪の事態」はすでに現実のものとして想定しうるということである。日本がいくら米国と親密な関係を維持することに努めても、だからといって、その結果米軍が我々を守り切れるとは限らない。その場合、日本は米軍の庇護を失い、当然アメリカの存在を前提にした防衛戦略や平和主義は成り立たなくなる。日米安保とバーターの現行憲法が死に体になるということである。本来、国内法である憲法はこのような無同盟状態においての平和主義を弁じなければならない。故に、平和と憲政を愛する日本人ならば、言外に日米安保を想定しながら、文理的に無抵抗主義を謳う現行憲法の思想のいびつさと、それと乖離した現状追認型の国内世論に疑問を持つべきである。明治以来の憲政を終焉させないために、ここ数か月間で一部の政治家や運動家が呈したような停滞した主張は克服されるべきであるし、憲法論や安保議論はより健全になされるべきである。日本にはフィリピンやベトナムの苦境を、あぐらをかいて眺めている猶予などない。あらゆるケースを想定し、戦禍を抑止するカードを可能な限り増やすために、核議論を交わすのにオープンになれるくらいのマインドが必要な時代に突入しているのである。
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