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2015-10-22 00:00
気になる英皇太子の中国主席歓迎の晩餐会欠席
山田 禎介
国際問題ジャーナリスト
中国の習近平国家主席の公式訪英は、迎える英側も大掛かりなものになった。異例とも言われる厚遇で迎えた英国の背景には、チャイナマネー呼び込みによる英経済活性化の熱望ぶりが、隠しようにも隠せなく、見える。ところが、ハイライトでもある公式歓迎晩餐会には、チャールズ英皇太子の姿がなかった。人権問題に関心が強い同皇太子が、チベット問題を先頭にした中国の人権に危惧、批判的なことが欠席の理由との観測もみられる。だが、これはそれ以上に、外交事例としては見過ごせないものだ。決して一過性のものではない。筆者には昭和天皇訪英(1971)の歓迎宴でもこれと同様の場面があったことを思い出す。英王室につながり、かつ昭和天皇の皇太子時代から縁のあった重要人物が欠席していたのだ。
今回と同様、きらびやかだった昭和天皇歓迎晩餐会に欠席した唯一の人物が、ビクトリア女王のひ孫、マウントバッテン卿だった。旧姓マウントバッテンだった女王夫君、フィリップ殿下の養父であり、英王室の重鎮であった。日本との縁は、のちの英国王エドワード八世が皇太子時代に行った極東旅行で訪日した際、英皇太子の介添え役がマウントバッテン卿だった。英皇太子ともども大阪で当時の百貨店配達係の和衣装、また人力車を引くまねをするなど、おどけた写真がいまも残る。そして日本側歓迎の主役で二人に接した皇太子、のちの昭和天皇には、マウントバッテン卿は強い思い出のある人物だった。だが、このマウントバッテン卿は、第二次大戦では東南アジア方面連合軍最高司令官。英国側には日本軍の捕虜となった旧英軍、英連邦兵士や戦死者遺族への配慮での欠席と受け止められていた。
一方、中国主席歓迎の晩餐会欠席のチャールズ皇太子にも歴史的な対中「負の舞台」があった。それが1997年の香港の中国返還式。次期英国王たるチャールズ皇太子にとって、法的に永久割譲された直轄植民地「香港島」を含む英国租借地の中国返還の場とは、二度と経験したくなかった場に違いない。いかにキャメロン英首相が、表面は習近平主席にお愛想を振りまき、チャイナマネー導入、さらなる対英投資を呼びかけようとも、このチャールズ皇太子の欠席には、日本同様に「完全には信用できない国」という特別の意味があると思う。中国お得意の「政冷経熱」が長く日中間に存在するが、今回英中間の”政熱経熱”はあえて造られたものだ。習近平主席は、先の訪米での件を踏まえ、”美(米)冷英熱”をやってのけたつもりだろうが、大西洋をはさんだ、特別な関係にある英米を超える存在はない。両国は常に情報を共有していることを日本も、また中国も、認識すべきだろう。
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