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2007-03-03 00:00
日本版NSCの導入にあたって留意すべきこと
四条秀雄
不動産業
私は以前から、日本と欧米での人格形成の相違の基盤には、言語と教育システムがあることを指摘してきました。教育システムの相違とは、端的に言えば、欧米が分析的テキスト文化であるのに対し、日本はそうではないということです。欧米の教育では、おとぎ話であれ、小説であれ、学術書であれ、絵画であれ、子供時代からそれらをテキストとして再話し(見聞したことを反芻すること)、読み解き(分析する)、要約し(構造を抽出する)、批評する作業を繰り返し繰り返し学習させます。そういうことを何千回も練習させます。そういう教育を受けてきた人々が、情報を収集し、加工して、組織の下から上へと上げていくわけです。欧米の社会制度の構造には、この教育システムの構造が至るところで繰り返し反映されています。
戦前においても戦後においても、日本政府の意思決定において、情報の収集、分析が疎かにされ、政策の戦略的決定過程が不在であることはつとに指摘されています。そのことの改善のためにいま日本版国家安全保障会議(NSC)の構想が語られていますが、そこにおいて私は、この問題が深く関係していると考えています。しかるに、その反省がないために、いま提案されているNSCは問題を解決するのではなく、ただたんに問題を再生産するだけの結果となりそうです。
まず、NSCの主要な目的ですが、それが情報の共有であるというのは、あまりにも奇妙だと思います。共有した後は、主要大臣が各々勝手に動くのでしょうか?先日も久間防衛大臣の発言が問題になりましたが、それは欧米文化の文脈ではありえないことではないでしょうか?やはり最終的には、各部門から上がってきた情報に基づいて現在と将来に関する妥当なシナリオ・物語を書き上げて、次の展開を望みの方向に導くにはどうしたら良いかを決めるということで無いといけないと思います。そのシナリオ・物語はファンタジーであってはいけないと思います。妥当な現実が描写されたシナリオで無いといけないと思います。少なくともNSCを運用する人材の文化的基礎において、日本の教育的土壌は豊かではないかもしれないことを、留意しないといけないと思います。
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