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2016-03-01 00:00
社会科学のグローバリゼーション・パラドックス
池尾 愛子
早稲田大学教授
自然科学のグローバル化は当然視されているけれど、社会科学の場合はどうなのか。四半世紀以上前(1989年頃)に遭遇した「グローバリゼーション・パラドックス」の経験を紹介しておきたい。アメリカ東海岸の大学で初めて在外研究の機会を得たとき、ヨーロッパのS国の経済学者の理論や政策についても研究を進めた。S国語ができる人からもたっぷり助言を得て論文を仕上げて、私はヨーロッパのB国の専門誌に投稿した。1カ月余りで査読結果が戻ってきたのは、大西洋をはさむとはいえ、アメリカとヨーロッパの距離の短さを感じた。
査読結果は「掲載拒否」であった。査読者は2人で、2人とも非B国人であることが、コメントの英語を読んで私にもわかった。1人はS国人であることもわかった。査読者は「私がS国語文献を読んでいないこと(文献リストに挙げなかったこと)」、「査読者の国や地域では私の投稿論文のような議論をしないこと」を指摘していた。私の論文にはアメリカでの捉えられ方や日本語での議論が反映されており、S国やヨーロッパでの議論とは異なったのである。研究者にとって論文を発表できないのは致命的である。
正直なところ、B国の専門誌がダメだったなら、査読者のコメントに従って改訂して、S国の専門誌に再投稿しようと考えていたので、その道も断たれて、二重のショックを受けた状態になった。そこで、滞在中の大学の教員に相談すると、「アメリカの専門誌に投稿しても、やはり査読者はアメリカの外に依頼することになり、うち一人はS国の研究者に依頼せざるを得ない」と言われた。その人は「もし日本の専門誌に英語で投稿したら、やはりS国の人に依頼せざるを得ないだろうから、同じ結果になる--グローバリゼーション・パラドックスだね」と続けた。その人は四重ショックだけではなく、的確な助言も与えてくれた。帰国後、日本語で書き改めた論文を日本の学会で発表して同学会誌に掲載してもらうことはできた。それで私はS国やヨーロッパに焦点をおく「経済学の国際化」(につながる)研究を打ち止めにして、それをむしろ日本(やアメリカ)から追う歴史的研究に集中することにした。
1-2年後、S国人研究者とも親しくなり、上の経験を話した。私が扱ったS国経済学者は独語や英語で研究を発表していたのであるが、S国の事にふれるならS国語を読んでほしいとの思いが伝わってきた。しかし、「あなたの場合、S国語ができることから書ける論文の数は2-3本でしょう」、「しかし私達は30-40年の間、論文や書物を書き続けなくてはなりません」、「あなたにS国語が必要な時は私が助けましょう」とも言われた。しばらくして実際に、別のS国経済学者カッセルが「日本円について」(1926年)と題する論文を日本政府に献呈したことを自伝から見つけてくれた。ヨーロッパでは1993年に欧州連合(EU)が誕生した後でも、学問分野によっては各言語を大切にする思いは変わらず、言語障壁や言語文化の差異が注目されることがある。それでも20年以上経ってみると、多くの社会科学分野では世代交代による状況変化が見えてくるように思う。国際的な学術環境も変化を続けており、その目前の環境にどう対応するかを懸命に考えるのは、各研究者の課題であると思うが、言語文化の問題を真剣に考えるのは共通課題ではないかと思う。
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