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2016-05-25 00:00
四方立夫氏の「日米安保なき日本の総合安全保障政策」について
加藤 成一
元弁護士
5月19日付け日本国際フォーラムe-論壇「百花斉放」に、四方立夫氏はトランプ発言を契機とする「日米安保なき日本の総合安全保障政策」として、(1)NATO加盟国並みに防衛費を2%に引き上げる、(2)オーストラリア及びインドとの戦略的パートナーシップを強化する、(3)憲法を改正し、自国の安全を自らの手で確保する、の三点を提言しておられる。いずれも同感である。
ただ、「日米安保なき日本の総合安全保障政策」としては、以上の三点だけではなお不十分のように思われる。なぜなら、「日米安保」がなくなることは、アメリカによる「核の傘」もなくなることを意味するからである。そうすると、たとえ防衛費をGDPの2%に引き上げ、通常戦力を拡大強化させたとしても、「核の傘」すなわち「核抑止力」がなければ、日本は他国からの核攻撃に対しては、全くの無防備となり、日本の存立を確保することはできないであろう。したがって、日本としては、好むと好まざるとに拘わらず、独自に「核の傘」を構築し、「自衛のための核抑止力」を備えるほかなくなるであろう。
NATOによる集団安全保障体制に加え、独自に「自衛のための核保有」をしているイギリスやフランスに対して、あえて核攻撃を加える国は皆無であろう。なぜなら、核による報復攻撃を覚悟しなければならないからである。それほどに、核兵器は究極の「絶対兵器」なのである。同様に、「核武装」した北朝鮮に対しても、世界最強のアメリカといえども先制的核攻撃は困難であろう。なぜなら、アメリカ本土はともかくとして、現時点では、少なくとも日韓両国内に存在する米軍基地などが核による報復攻撃の対象となるであろうからである。これが、まさに「恐怖の均衡」としての「核抑止力」である。第二次世界大戦後70年間、それに匹敵する世界戦争が防止された要因として、大国間における「核抑止力」の役割ないし機能を無視することはできないであろう。これこそが、第二次世界大戦後における世界政治の冷徹なリアリズムである。
日本国民は、いつまでも「唯一の被爆国」の呪縛にとらわれず、「日米安保なき日本の総合安全保障政策」としては、アメリカによる「核の傘」に替わり得る日本独自の「自衛のための核抑止力」が必要であることを、真剣に議論すべきであろう。
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