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2016-08-15 00:00
オリンピックと政治
船田 元
衆議院議員(自由民主党)
この8月6日は、地球の真後ろにある南米ブラジルのリオ・デジャネイロで、いよいよオリンピックの開会式が催された。ブラジルではルセフ大統領が、政府全体として粉飾決算をしたのではないかとの疑念を指摘され、職務停止の状態に追い込まれている。治安も悪化しており、ひったくりは日常茶飯事であり、警官自身が処遇改善を目指してサボタージュする有り様である。一時はオリンピックが開けないのではないかと危惧されたが、開催出来、ホッとしたところだ。一方、2020年の東京オリンピック・パラリンピックも、開催に向けて課題山積となっている。新国立競技場の設計変更、エンブレムの盗作疑惑から差し替えのドタバタ。それが済むや否や、開催地東京の知事の不祥事と交代など。現在も費用負担を巡って、国と都が鞘当てを続けている始末。何とか成功に向けて、関係者が心を合わせてもらいたいものだ。
ところで、今から52年前の1964年の東京オリンピック。私はまだ小学5年生だったが、戦後の混乱から立ち直り、先進国としての仲間入りを果たせるかどうかの大舞台に、心弾ませた記憶がある。アジアで初めての、かつ有色人種の国家としてのオリンピック開催に、誇りを感じたものである。確かにオリンピック開催までに、国立競技場や日本武道館、代々木屋内競技場、駒沢公園など、目新しい施設が次々に完成する様は、圧巻だった。首都高速道路、東海道新幹線、羽田モノレール、地下鉄新線建設ラッシュなど、日本の国力が一挙に倍増したかのような昂揚感を与えるには、十分過ぎるくらいだった。
52年前の日本は高度経済成長の真っ只中で、国民の気持ちが一つの方向に向かって走り続けていた頃だ。それに対して、今の日本は失われた20年ののち、未だ低迷する経済や不安定な国際情勢を反映して、国民の間で不協和音が流れている。この彼我の差が、オリンピック開催に大きな影響を与えているのではないだろうか。
オリンピックはその成り立ちからしても、正真正銘の「平和の祭典」である。しかし残念ながらオリンピックの歴史は、政治に翻弄された歴史でもある。ミュンヘン・オリンピックでのイスラエル選手団に対するテロ。ソ連のアフガニスタン侵攻に抗議しての西側諸国のモスクワ・オリンピックのボイコット。その意趣返しにワルシャワ条約機構(WTO)諸国のロサンゼルス・オリンピックのボイコットなど、枚挙にいとまがない。しかし私たちは人類の宝とも言える、このオリンピック・パラリンピックを、なんとしても政治や紛争からの影響を排して、静かにかつ熱く開催させなければならない。
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