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2016-10-02 00:00
腰を据えて、「日本固有の領土」の返還を求め続けよ
河東 哲夫
元外交官
北方領土問題をめぐって奇妙な事実誤認が横行している。それは、「1956年10月に日本政府は、歯舞・色丹の返還だけでソ連と平和条約を結ぼうとしたが、米国のダレス国務長官がこの交渉に介入し、国後・択捉も日本に要求させたことで、今日の行き詰まりが生じている。もはや冷戦は終わった。日本は米国から自立して、国後、択捉は放棄し、ロシアと平和条約を結ぼうではないか」というものだ。この議論は自虐的で、捩じれている。そもそも1855年に日本がロシアと初めて国交を結んだ時の「下田条約」では、国後・択捉は日本領とされ、ソ連も1945年の軍事侵攻時までそれを認めていた。北方領土は万人の認める「日本固有の領土」である。それを捨てることが、米国から自立することになるのだろうか? 何か変だ。
考えてみれば、1945年2月、ヤルタでの会談で病身のルーズベルトがスターリンに、ソ連の対日参戦とひきかえに「千島列島」奪取を認めたこと、この「千島列島」の中に国後・択捉も含まれると、その後ソ連・ロシアが一方的に解釈していることが、問題の根底にある。しかし、第二次世界大戦の戦争目的を宣言した大西洋憲章(1941年8月)、カイロ宣言(1943年11月)、ポツダム宣言(1945年7月)などを見れば、いずれも「領土拡張の念なし」と明言し、日本についても「駆逐される」のは「暴力および貪欲により略取した地域からのみ」とされている。「領土不可侵の原理」は第二次世界大戦後の国際秩序の原則の一つとされ、そのことを条件として日本は降伏したのである。
米国からの自立を言うのだったら、そこまで言ってほしい。1942年1月にはソ連も含めた「連合国」が大西洋憲章の諸原則遵守を宣言した「連合国共同宣言」に署名している。その文言を引用し、「ヤルタでの合意が国後、択捉を含んでいるはずはない」ことを、大いに主張する方が筋ではないか?ただし、言い方には気を付けないと、中ロなどから「日本は終戦時の連合国の合意を拒絶しようとしている」とか、「戦後の安定を壊そうとしている」などと、中ロのプロパガンダ攻撃の目標にされるので、念のため。
今急いで北方領土問題を解決しようとしても、ロシアは日本の要求に屈しねばならないほどの窮状にない。北方領土問題を解決したからと言って、経済関係が飛躍的に進むわけでもなく、ロシアが中国との準同盟関係を断って日本を常に支持してくれるようになるわけでもない。他方、北方領土問題があるからと言って、ロシアとの経済関係や政治面での協力をまったく進められないわけではない。日本は石油、ガス、石炭の消費の10%弱相当を既にロシアから輸入している。自衛隊はロシア軍との交流を進めているし、小規模ながら共同演習さえやっている。
極東ロシアの人口は約600万だが、対する中国の東北地方には約1億2000万の中国人が住んでいる。気の遠くなるようなアンバランスである。ロシアとしては、なんとかして少しでも中国をけん制できる材料がほしいところだ。北方領土問題は解決に向けて話し合いを続けつつ、日本とロシアは西太平洋で、互いを外交カードの重要な一枚と位置付けて活用していくことは可能ではないか。日ソ共同宣言(1956年10月)当時の日本と比べれば、今日の日本の対ロポジションは飛躍的に強化されている。その日本がここで腰砕けとなる理由はない。日本は腰を据えて対ロ交渉に臨むべきである。
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