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2007-05-07 00:00
格差拡大の議論は本物か
大藏雄之助
評論家
日本は一時期「総中流社会意識」と言われた。わが国の平均的な庶民の生活はヨーロッパの中流階層とは大きく隔たっていたが、上下の収入の差が小さいために中間層が自らを中流と考えたのだった。最近それが崩れて格差が広がっているという議論が盛んである。私は直感としてはさして格差が拡大しているという気はしないが、所得格差の最も有力な測定手段であるジニ係数によれば若干開く方向に動いているのであろう。
明治維新直後の「官員」の給与は大多数の国民の稼ぎとはかけ離れていたし、三井・三菱などの大企業の社員の収入も女中をおけるほど余裕のあるものだった。現在アメリカの普通の会社員の年収は数万ドルであるが、経営者の年間の報酬は数百万単位である。だいたい日本の明治時代の格差が維持されていると言ってよい。
一方、われわれの側では、大正・昭和を通じて所得格差は急激に縮まり、新入社員の30倍以上の役員賞与を得ている経営者は珍しいだろう。パイそのものが大きくなっているから、多少格差が開いたとしても不公平感を生むにはいたっていないし、一次的な現象ではないか。「日本は円安にもかかわらず海外旅行者は減っていないし、相変わらずブランド商品を大量に買って帰る。国内でもデパートなど一流の店がはやっており、高級料飲店も次々に生まれている。どこが不況なのか」と、外国では不思議に思っているらしい。
先ごろ自治体が障害者の手当を月間50万円前後から10万円程度に削減したという批判があった。当事者は「今まで通り付き添い付きで外出したいし、外国旅行もしたい」と言っていたが、健常者でも自由に外出できず、海外旅行など思いもよらない人がたくさんいるのだから、予算に限りがある以上、そうした活動の手当を減らすことはやむを得ないし、それによって格差が広がることを行政の恣意と非難するのは当たらないだろう。
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