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2017-10-06 00:00
(連載2)中央アジア、中東、EU問題から国家の意味を問う
袴田 茂樹
日本国際フォーラム評議員
では、そもそも国家というものの存在が、あるいは不自然な国境の画定などが、多くの犠牲者を生む戦争や紛争の原因なのだろうか。ある興味深い研究がある。ハーバード大学のスティーブン・ピンカー教授の『人類の暴力史』(青土社)で、古代の狩猟採集社会、その後の部族社会から近代国家中心の現代までの世界史における戦争や暴力による死者数を推定して比較したものだ。ピンカーの結論では、国家の下における方が、伝統的な部族社会よりも戦争や暴力による死者数(人口10万人当たり)は、はるかに少ないという。例えば、(2つの世界大戦を行った)欧米諸国の最も戦争で荒廃した世紀でさえも、戦争による死者数は、非国家社会の約4分の1、最も暴力的な非国家社会と比べると、10分の1以下であるという。アラブ圏においては、あるいは中央アジアにおいても、たしかに国家は人為的に形成され、それゆえの紛争や諸問題も生じている。しかしこれらの地域でも、国家が成立する前の部族社会社おいては、より平和だったのではなく、戦争や暴力による死者ははるかに多かったのである。
国家は一面ではたしかに「戦争のマシーン」である。しかし、国家が歴史的に果たしている最も重要な機能は、国内的には法治社会すなわち秩序を生んでいるということだ。また、国際社会においても、基本的な国際秩序は国連や国際法によってではなく、主権国家の諸関係によって形成されているのである。フランスのH.ヴェドリーヌは、F・フクヤマの、「深刻な紛争や対立の歴史は終わった」という見解を批判して、次のように述べる。「国家が主権を放棄しても、国連やEUなど他がそれ引き継いでくれるわけではない。国家には(国内・国際秩序確立という)国家固有の役割があり、今の世界は国家の力の<過大>ではなく、<過小>に苦しんでいる」(『国家の復権』草思社 原題は『歴史の継続』)
ヴェドリーヌは、右派の国家主義者ではない。何と彼は欧州統合(EU)の機関車となったフランスの社会党政権の外相(1997-2002)であり、欧州統合推進の当事者だった。だからこそ、その限界も熟知していたのだ。かつて理想化されたEUも、今や民族問題、極右の台頭、テロ問題などで大混乱し分裂・崩壊の危機に直面している。EUの根本問題は、加盟各国が主権の一部を放棄しながら、EUが主権国家にもならなかった、というその中途半端性にある。つまり、EUは主権国家の連合でもなく、それ自体が主権国家(連邦国家、合衆国)でもない中途半端な存在なのだ。これが、移民問題や国際テロに適切に対処できず、EUが世界経済危機の震源地にもなる根本原因である。
結論として言いたいことは、一例として出した今日のカスピ海、中央アジア、中近東などの諸問題は、人為的な国家形成に原因があるとしても、その解決策は、各主権国家の国家としての機能の強化と、これら主権国家間の関係の調整以外にないということである。ここにはもちろん、当事者の合意や国際社会の承認による民族独立・独立国家形成も含まれる。国際機関や国際法などは、そのための補助的なツールであり、国連や国際機関が世界政府の役割を果たせるわけではない。グローバル化の時代と言われる今日の世界でも、国家主権、領土、国境、国益の調整といった問題は、安全保障とも結びついた最も重要な問題なのである。(おわり)
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