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2007-05-11 00:00
原発隠ぺい事故の教訓:人間は誤り、機械は故障する
吉田康彦
大阪経済法科大学客員教授
電力会社の相次ぐ“事故かくし”が暴露され、原子力に対する国民の不信感が高まっている。最近問題になったのは北陸電力の志賀原発1号機と東電の福島第一原発3号機で、それぞれ制御棒が脱落し、臨界“事故”が発生していたのを隠ぺいしていたというものだが、前者は8年前、後者は何と30年近くも前の不祥事だった。なぜそんな旧聞が明るみに出たのか。まず内部告発があり、その後、経済産業省がすべてを報告するよう指示したところ、次々に露見し、電力会社全12社で50事案が申告され、臨界に達したトラブルだけで3社7件にのぼったという。
これに対しては、業界の「隠ぺい体質」、「事なかれ主義」への批判の声が強いが、いまさらそんな陳腐な形容で表現される対処療法で解決する問題ではない。と同時に、運転停止という厳罰に踏み切らなかった経産省の対応の甘さが指摘されている。日本の原子力産業は、「事故は絶対に起きない」という安全神話を地元にも国民にも信じさせることで成り立ってきた。神話というのはウソを信じ込ませることだが、これが一気に崩壊したのがチェルノブイリ事故だった。昨年採択された原子力大綱には、「人間は誤り、機械は故障する」と書いてあるが、事故は必ず起きるのだ。被害を最小限に食い止めるのが多重防護の工夫であり、危機管理だ。政府と業界は改めて日本国民に発想の転換を迫る必要がある。
次に、隠ぺいは通用しないことを当事者は悟るべきだ。日本でもようやく内部告発が奨励され、告発者を保護する法律も成立した。「お家大事」の企業体質はもう通用しないことを肝に銘じる必要がある。大事なのは透明性であり、情報公開だ。
他方、何かというと「事故」「事故」と騒ぎ立てて、センセーショナルに報道するメディア側の責任も大きい。冒頭に紹介した不祥事は、放射能漏れが起きたわけでも、人畜に被害が出たわけでもなく、IAEA(国際原子力機関)の定義に従えば、「事故」以前の「事象」にすぎないが、新聞もテレビも「事故隠し」と騒ぎ立てた。そこでメディアの過剰反応を恐れるがゆえに隠ぺいしたくなるという悪循環が起きる。運転員も業界もメディアも、「人間は誤り、機械は故障する」という原点に立って、隠さず、騒がず、冷静に振る舞うべきだ。
最後に、原発を推進する資源エネルギー庁も、事故やトラブルを処理・処罰する原子力安全・保安院も、ともに経産省に所属しているのはおかしい。安全・保安院は少なくとも、米国のNRC(原子力規制委員会)のような独立機関に移すのがよい。
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