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2017-11-28 00:00
(連載1)日本政治の理解には「親米」「反米」を尺度とせよ
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
ソウルである国際会議に出席した。平和構築・紛争予防をテーマに、国際機関や各国政府の職員が議論する会議(主催:韓国政府・ハマーショルド財団・国連平和構築支援事務所)に、セッションの座長役で、招いてもらった。セッションでは、アフガニスタン、スリランカなどについても話したが、東ティモール出身の「G7+」という国際的プラットフォームのある方が、東ティモールとインドネシアの関係改善を題材に「最後は、政治的意思と国益判断だ」と強調していたのが、耳に残った。たまたまトランプ米大統領の訪韓と重なったので、会議後には、反米デモと親米デモと警察部隊が渦巻いているのを見ることができた。北朝鮮との国境から約40キロ、国民性もあると思うが、韓国の人々は熱い。米軍とともに朝鮮戦争、そしてベトナム戦争を戦った経験を持つ。米国との関係は複雑だ。
もちろん、日本も負けず劣らず、米国との関係は複雑である。ただちょっと違った様子で複雑といえる。一緒に戦争を戦ったという記憶はない。ただ、敵味方に分かれて、片方が降伏して占領されるまで戦い続けた。「東西の強者の代表」が「新世界出現のために避け難き運命」(大川周明)として、「決勝戦」としての「最終戦争」(石原莞爾)を戦ったのが、日本にとっての「太平洋戦争」だった。
戊辰戦争から約10年後の東北に生まれた吉野作造は「戦後」を語ることなく、東大教授となり、普遍主義的な立憲主義を標榜していた。彼が「英雄」と呼んだウッドロー・ウィルソンは、幼少期に南北戦争を体験したヴァージニア州出身者だ。やはり「戦後」を語ることなく、プリンストン大学教授となり、普遍主義的な立憲主義を標榜した。太平洋戦争後の日本人は、吉野やウィルソンと少し似ている。ただし、もう少し屈折している。普遍主義を掲げて、あらためて勝者と対峙したい。ただし、その敵国が起草した憲法が基礎になるとしたら、敵国の文化にそって、敵国の影響下で、普遍主義を語らなければならない。そこで日本の憲法は世界に唯一で他に類例がないガラパゴスであるということにしたうえで、ガラパゴスであることこそが世界最先端だ、という理論を作り上げた。
日本の政治を「リベラル」「保守」といった概念で見ても、理解できるはずがない。冷戦が終わったとき、「革新」政党のアイデンティティを消し去る必要があったが、代替案がなかったので、外国から概念を借りてきただけだった。「私はリベラルで保守だ」とか「本当のリベラルとは何か」などと語り合うのは、修辞的な効果や学問的な話としては意味があるが、日本の政党政治の分析としては、的外れだ。結局、政権与党の自民党を一極とし、冷戦時代から反対の立場を貫いている共産党をもう一方の極とし、その他の野党を順に並べていくには、米国との距離を尺度にするのが、一番わかりやすい。親米か、反米か。この尺度で、自民党から共産党までの政党を並べていけば、だいたい間違いない。(つづく)
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