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2017-12-04 00:00
(連載1)吉野作造から学ぶ「立憲主義」の今日的意義
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
私は、先日、宮城県古川(吉野作造の生誕地)の吉野作造記念館において、「民本主義と立憲主義」という題名で講演をする機会をいただいた。吉野作造と言えば、1916年に『中央公論』に掲載された「憲政の本義を説いて其有終の美を濟すの途を論ず」における「民本主義」の主張が有名だ。今日の日本では、「アベ政治を許さない」の憲法学者が「立憲主義」者の代表であるかのように語られることが多い。だが、それとは異なる「憲政の精神的根底」である「民本主義」の思想は、非常に重要な意味を持っている。
「立憲」民主党の枝野幸男代表は、2017年衆議院選挙にあたって、次のように演説した。「立憲主義は、確保されなければならないというのは、明治憲法の下でさえ前提でした。少なくとも、大正デモクラシーの頃までの日本では、立憲主義は確保されていました。戦前の主要政党、時期によって色々名前若干変化しているんですが、民政党と政友会という二大政党と言われていたそれぞれ、頭に『立憲』が付いていた」(2017年10月3日)こうした野党第一党党首の発言を見ても、「大正デモクラシー」に大きな影響を与えた吉野作造について考え直すことは、今日的な意味を持っていると言える。
戦後の日本では、吉野の「民本主義」は、ある種の苦肉の策であったかのように語られることが多い。戦前の日本では完全な人民主権の民主主義を唱えることができなかったので、妥協を図りながら、民主化を進める事を画策したのが「民本主義」だった、という解釈である。「八月革命」説を通過して「国民主権」を強調する憲法学のみならず、民主主義の「永久革命」を標榜する丸山眞男の政治学の流れでは、国民主権の完成が理想として追い求められるので、そのような「民本主義」解釈が戦後の日本で広まったのではないか。
しかし、実際に吉野が言ったのは、それとは少し違うことであった。吉野が言ったのは、「デモクラシー」には二つの区別される意味があり、一つが「民主主義」、もう一つが「民本主義」だ、ということであった。「民主主義」とは、主権の「所在」に関わる主義で、「国家の主権は人民にあり」、という考え方によって説明される。これに対して、「民本主義」とは、主権の「運用」に関わる主義で、「主権を行用するに当って、主権者は須らく一般民衆の利福ならびに意嚮を重んずるを方針とすべきという主義」である。これは、ジョン・ロックら、17世紀革命期前後のイギリスで、多くの著述家が言っていたことと重なる。ロックの『統治二論』に引用されている「Salus Populi Suprema Lex(人民の安寧が最高の法)」は、同時代の人々が重ねて引用していた成句だ。イギリスの古典的な立憲主義の精神を表現していると言っていい。法律の不備や解釈の困難が生まれたら、そもそも法律とは人々の生活を安全にするために存在しているものだ、という基本に立ち返る、という精神である。社会契約論の根本的な思想的基盤だと言ってもよいだろう。吉野作造の「民本主義」の「憲政」とは、イギリスの立憲主義と重なるものであった。(つづく)
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