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2018-03-01 00:00
飽くなき習近平への権力集中
杉浦 正章
政治評論家
中国が歯止めのない独裁体制へと突入した。ただでさえ共産党が独裁体制を敷く中国に「任期は2期10年」となっていた国家主席任期の上限撤廃が行われることになった。習近平の「終身国家主席」としての永続が加わったのだ。2月26日、中国の交流サイトでは「中国に個人崇拝はいらない。終身制はいらない」「北朝鮮みたいだ」といった批判的な意見が飛び交った。中には「習大帝万歳、万歳」という皮肉めいた書き込みもあったという。問題は、こうした書き込みはすぐに削除され、一部のサイトではコメント欄を閲覧できなくなったことだ。掲示板によっては「2期10年」などの検索用語が使えなくなった。そもそも現行憲法で「2期10年」が定められたのは、1966年から1976年まで続いた文化大革命への混乱を反省するためであった。このため江沢民、胡錦濤は10年で退任している。その任期が撤廃されたことは、習近平が2023年までであった任期を無期限に延長したことになる。
そもそも習近平の権力への執着は著しいものがある。昨年10月の第19回党大会で、習は社会主義現代化を掲げて「2035年」という長期政権を意識した日程を提示した。党政治局常務委員の人事では、後継者となるべき50歳代の起用が見送られた。いずれも長期政権に向けた布石だったと考えられる。後継候補の出る杭は打たれたのだ。その「露骨な姿勢」は外面上、高度成長期に終止符を打った中国の経済を長期上昇志向に立て直すためという大義名分がある。しかし、その本質は習近平の飽くなき権力意欲にあるのだろう。2012年に国家主席に就任して以降、習は反汚職運動の名の下に政敵を次々に排除し、自らに権力を集中させて来た。そもそも毛沢東時代以降は中国共産党内の各派閥のリーダーは平等に権力を分け合うことを慣習としてきた。習はそれを変えたことになる。これまでの指導者は集団指導体制と併せ、後継の候補を早く決めるのが慣例だった。だが、習体制下では今も後継が誰かは見えてこない。見えないと言うより習は「見せない」のであろう。
習の権力欲は党大会などを通じて自らを現指導部内で別格の「核心」と位置づけ、共産党規約には名前を冠した「思想」が明記された。毛沢東以来のことである。習に近い多くの部下が中央・地方の主要ポストに就いてをり、体制をほぼ固め終わったかにみられる。マスコミの論調は、冒頭示した裏メディアと異なり、新華社は「習近平主席は新たな繁栄の時代へと導いてくれる」と期待を表明。共産党機関紙の人民日報もさまざまな人々の話を引用し、「大半の人々は憲法改正を支持している」と伝えた。要するに正規メディアは“礼賛”なのである。これは逆に、いかに習政権が、メディアに目を光らせているかの左証でもある。世界的にも独裁政権長期化の流れは生じている。世界は情報革命とグローバル化で冷戦終結以来の激動期に突入しているといわれる。露大統領プーチンやトルコ大統領のエルドアンなどは、長期政権で難局乗り切りを目指している。カンボジアなど中国との関係が密な国で独裁政権の長期化が進んでいる。
今回の動きは、中国の憲法や法律が政治家個人と党の目的をかなえるために存在していることを証明している。中国はそもそもが一党独裁国家であり、これに加えて習近平が長期にわたり自画自賛体制を継続させることになる。イギリスの歴史家ジョン・アクトンは「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」との格言を残したが、一党独裁プラス習近平独裁が、政策の硬直化や独善的外交、軍事的脅威の拡大を極東にもたらす流れとなることは、長期的に見れば確実だろう。日中関係に目を転ずれば、今年は日中平和友好条約40年を迎えている。1998年の日中平和友好条約締結20周年では、江沢民が史上初めての中国国家主席として公式に来日、30周年に当たる2008年には胡錦濤が来日している。となれば40周年の今年中の習近平来日が実現する公算が大きい。民主主義と法の支配という普遍的価値観を共有しようとしない中国の“皇帝閣下” の来日に異を唱える必要もないが、縷々述べてきたように「招かれざる客」の側面がないわけではない。
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