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2018-09-18 00:00
移民反対の正当な根拠とは
倉西 雅子
政治学者
全世界を一つの市場に統合し、国境の消滅を理想とするグローバリズムは、経済合理性を根拠として「人の自由移動」、すなわち、移民の増加を全面的に肯定しています。このため、移民反対の立場にある人々は十把一絡げにポピュリストと称され、経済合理性を理解できない反理性的な愚か者と見なされがちです。ここに、移民反対=衆禺政治=ポピュリズムの構図が定式化され、マスメディアは、ステレオタイプ化されたこの構図に当て嵌めて、レッセ・フェールなグローバリズムに対する一般国民の不満を無理矢理にでも説明しようとしています。しかしながら、移民問題に対する既存の諸国民からの反発は、ポピュリズムの一言で片付けるのではなく、ナショナリズムの文脈で理解した方が適切なのではないかと思うのです。
ナショナリズムという表現の方が相応しい理由は、それが、国家の枠組と関連しているからです。経済分野のみを切り取り、かつ、自らを専らグローバリズムの利得者の視座に置けば、経済合理性の主張にも一理がないわけでもなく、それ故に、移民反対者は愚か者、進歩から取り残された人、あるいは、不要な人といった酷な言い方をされています。しかしながら、移民の是非に関する論争の場を政治分野に移しますと、両者の立場は逆転します。何故ならば、移民反対の人々には、民主主義や言論の自由といった内政上の諸価値に加えて、民族自決を原則とする国民国家体系そのものが、国境を否定する経済合理性に対抗する強力な武器となるからです。すなわち、多元主義に立脚すれば、ポピュリズムとして見下されてきた移民反対の主張も、ナショナリズムという正当なる根拠、あるいは、砦を得るのです。国民国家体系とは、数万年もの年月を経て形成されてきた人類における民族的な多様性に則した国際体系であり、大航海時代以降に建国された多民族国家も併存するものの、人類史を考慮すれば最も自然な国際体系です。近代以降、ナショナリズムは、この国民国家体系の形成期において各民族が帝国や植民地化による異民族支配から脱し、主権を有する独立国家を建設する推進力ともなりました。ナショナリズムに対する否定的な態度は、即、民族自決の原則の否定、並びに、異民族支配の容認をも意味します。
移民を当然視するグローバリストに従えば、歴史的に形成されてきた民族の枠組みは無視され、国民の枠組は融解してゆきます。たとえ国家の領域や主権が残されたとしても、移民の増加を放置すれば、将来的には国民が異民族と入れ替わってしまう、あるいは、少数の異民族に支配されてしまう事態に発展しかねません。数千年来、ユダヤ人は、世界各地に離散し、移住先で権力と結びついてきましたし(選民意識に基づく政経両面における他民族支配志向が排斥や迫害の原因であったのでは)、イスラム教の『コーラン』では、全世界へのイスラム教徒の移民を奨励していますし、13億の人口規模を抱える中国における主要民族である漢民族もまた、全世界に華僑が移り住んで中華街を形成しています。人の自由移動が全世界レベルで原則化すれば、その先に何が起きるかは容易に予測することができます。祖国や母国といった言葉も死語となり、人々は、アイデンティティー・クライシスに悩んだ末に、雑多な烏合の衆と化すことでしょう。
マスメディアが慎重にナショナリズムという表現を避け、敢えてポピュリズムとして侮蔑している理由も、おそらく、移民反対の主張が政治分野において正当性のある地位を獲得してしまうことを怖れているからなのでしょう。共産主義とグローバリズムの急先鋒である新自由主義とが同類と見なされるのも、双方とも、経済を唯一の決定要因とする一元主義にあるからであり、反面しか視界に入らない一元主義では全体を見渡すことができません。ここで政治を固有の領域とする多元主義に視点を変えれば、全く別の光景が見えてくるのでないでしょうか。
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