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2018-09-24 00:00
ドイツ西部訪問で感じたこと
池尾 愛子
早稲田大学教授
9月半ば、ドイツ西部に位置するボンとケルンを訪問して、場所をかえながら、友人(日本研究者)とじっくり話をする機会があったので、そこで感じたことを書き留めておきたい。まず、ドイツ経済は、1990年の東西ドイツ統一の後、建設関係を含む統一バブルがあり、バブルがはじけた後、10年以上苦しみながら改革を続けて、2008年が転換点となって、好況が続いているという。つまり、ドイツ経済に注目している限り、リーマン危機も、ユーロ危機も感じられないという。友人はもちろん、ギリシアやイタリアが経済的に苦しんでいることは知っている。1993年に欧州連合(EU)が12ヶ国で結成されたのちEUは拡大を続け、1999~2002年にかけて11~12ヶ国で共通通貨ユーロが導入され、市場統合が一段と進んだので、加盟国の諸産業はみな大きく再編された。イギリス民営会社ナショナル・エクスプレスがドイツ鉄道に乗り入れて、ケルン~ボン、ボン~コブレンツの間の各駅停車の列車を運行しているのに気付いた。ヨーロッパの電力・ガス企業の再編が『エネルギー白書』2017年版(経済産業省ウェブサイト掲載)で紹介されている。加えて、ドイツの改革が最も凄まじかったことであろう。国家に近かったドイチェ・ポストとドイチェ・テレコムの本部は、民営化後もボンにある。
ライン川がボンとケルンを貫いて、スイスから、フランスとドイツの国境、ドイツ国内を経て、オランダまで流れている。百個以上のコンテナを積んだ貨物船がライン川を時々航行しているのを、鉄道車窓等から眺めることができた。西岸に教会が多く、東岸には農地が広がっている。麦や、甜菜(砂糖大根)を含む野菜が栽培されているという。ライン川はローマ帝国とゲルマン民族の活動域を西側と東側に分けていた時期がある。「1871年のドイツ帝国誕生は、1868年の明治維新にあたる」と説明された。確かに荒っぽいことをしたようだ。工業化が進んだ時代、ライン川は汚れて悪臭が漂っていたとのことであったが、今はそうした臭いは全くしない。工業化やそれ以前の時代、ケルンの空気は汚染して白っぽい石で建造された大聖堂外壁まで煤で汚すほどであった。それに対して、ボンは空気がよいことで有名で有力者たちが別荘を持つようになっていた。
ケルン生れでケルン市長も務めたコンラッド・アデナウアー初代・西ドイツ大統領が、ボンを首都にしたとき、ボン市はライン川東岸だけであったが、西岸地域を含めて市は拡張されたという。ドイツ西部の諸都市では、大戦時の空爆により石や漆喰で造られた建物が瓦礫と化したので、戦後に復元・再建された建物が多い。ケルン大聖堂は空襲を免れた。近郊のアウグストゥスブルク城は被害が少なく、修理のうえ迎賓館として用いられた。首都のベルリン移行後、ボンで首都の建物として使用されていたものの多くは種々の博物館に生まれ変わった。歴史博物館が多く、ボンで一泊するドイツ人観光客の団体を毎日見かけた。西ドイツ史を共有してゆく覚悟が感じられた。「ベルリンの自由 Berliner Freiheit」と名付けられた通りもある。中国からの団体客も見かけた。ボンを含めて、ドイツ経済は人手不足ぎみであるという。
ケルンのローマ・ゲルマン博物館に行くと、ドイツ史全体がよくわかる。封建制は一部の有力諸侯により採用されていたが、選帝候を出していたケルンでは採用されていなかったなど、ドイツ全域に普及していたわけではなかったことも興味深い(朝河貫一の日欧封建制比較研究と関係する)。ドイツ語で「封建的」というとき、「古臭い」という意味合いももつことが面白い。友人にも言ったが、私は訪独前から英語で『ヘーゲル入門』(Peter Singer 著)を読み始めていた。ドイツ語での研究を英語で書き直す作業が進行し、英語に訳しにくい思考、英訳では消えかねない論点が英語で明示的に解説されている。理性だけではなく、Geist(心・精神、mind and/or spirit)を捉えるのも大切なことがわかる。列車で隣り合わせた人は、Zeitgeist(時代精神-英訳困難)と題する雑誌連載記事を読んでいた。Singer 氏はヘーゲル(1770-1831)の Geist 現象研究を「心(mind)の現象学」として解説するほか、ヘーゲルの生きた時代を解説しているので、ドイツ史を英語で読むこともできた。
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