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2007-06-23 00:00
「核」と「原子力」はどう違う?
吉田康彦
大阪経済法科大学客員教授
日印協力の強化に関する日本国際フォーラムの政策提言草案を審議する政策委員会で、「核」と「原子力」という日本語だけに存在する言葉の違いをめぐって、しばし議論が沸騰した。
日本は言霊(ことだま)の国、日本人は言葉を大事にする民族。人類は、核分裂がもたらす莫大なエネルギーを、まず殺傷兵器として開発、そのあとこの原理を平和目的の発電に利用することを思いついたわけだが、両者を同じ言葉で表現するのは、ヒロシマ・ナガサキを経験した民族としてはご免蒙りたいという心情から、前者を「核」、後者を「原子力」と使い分けることにした。もちろん政府・電力業界の深謀遠慮だ。関係者が訳し分けを思いついたのは、atom (原子)よりも小さい nucleus(原子核)の分裂がエネルギー源であることが広く知られるようになり、1950年代に米国が政策転換してアイゼンハワー大統領が「平和のために原子力」を唱え、日本にも平和利用推進を薦めたからだ。
英語では兵器も発電もすべて nuclear だが、日本語では「核兵器」「核弾頭」「核拡散」、「原子力発電」「原子力平和利用」と訳し分け、呼び分けている。平和利用でも「核燃料」という例外はあるが、それでも東京電力は「原子燃料」と呼び変えている。(ちなみに「原子爆弾」という呼称は今では廃語で、原水禁、原水協などの組織名だけに残っているだけだ。)したがって、北朝鮮・イランが進めているのは「核開発」であり、「原子力開発」ではない。また米国とインドが合意したのは「原子力協力」であって、「核協力」ではない。むしろ両者を峻別して「原子力分野」に限って協力しようというのだ。しかしブッシュ政権は対印協力に際して、核実験の凍結、使用済み燃料再処理中止を要求、これを拒否するインドとの間で利害対立が残っている。これは本来、「核」も「原子力」も同根で、核保有国にとっては両者の違いなど存在しないことを意味している。米国でも「エネルギー省」が「核」と「原子力」の双方を管轄している。
昨年2月ブッシュ政権はGNEP(Global Nuclear Energy Partnership)という新構想を発表した。これは、従来直接処分としてきた放射性廃棄物を再処理して減量し、最終処分地のユッカ・マウンテンが満杯になるのを先延ばしする必要性と再処理のプロセスで超ウラン元素を混入して核拡散を防止する効用との一石二鳥を狙ったものだ。ということは、nuclear は双方にかかることになる。外務省・経済産業省は「国際原子力エネルギー・パートナーシップ構想」と訳しているが、二重三重の誤訳が存在する。Global はinternational (国際)に代わって使われるようになった言葉だし、nuclear energy 全体が「原子力」を意味し、「原子力エネルギー」とは言わない。「火力」を火力エネルギー、「水力」を水力エネルギーと言わないのと同じだ。そして何よりこの場合のnuclear energyは「核」と「原子力」双方にかかる。
というわけで、言葉の使い分けのごまかしは止めた方がよろしい。すべて「核」と訳したらいいではないか。中国語でも韓国語でも「核兵器」「核発電」という。政府・電力業界が「原子力」を別な概念のように思い込ませた罪は大きい。日本国民が総じて「核拡散問題」に無関心で「日本の核武装」に無頓着なのは、訳語の使い分けのトリックのせいでもある。
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