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2007-07-02 00:00
フォークランド戦争
大藏雄之助
評論家
今年は1982年4月2日から6月14日まで2か月半続いたフォークランド戦争から25周年にあたる。私は3月に現地を訪れて、改めて領土紛争を考えた。
フォークランド諸島は415年前の1592年イギリスの航海家が発見して以来、イギリス・オランダ・フランス・スペインが攻防を繰り返し、アメリカも占領したことがある。アルゼンチンは1816年の独立に際してスペインから権益を継承したとしており、領有権にはそれなりの根拠がある。しかし、1833年以降はイギリスが実効支配してきた。当時は軍事力においても国際的な発言力においてもアルゼンチンはイギリスに対抗することはできなかった。中南米諸国ではマルビナス諸島と呼んでいて、アルゼンチン領とみなしているようだ。
フォークランドは、かつての東印度会社のような組織が請け負い統治していて、島民の福祉は顧慮されず、戦争以前は島内に道路らしいものがなかったというほど、インフラストラクチャーは整っていなかった。この地帯はパンパという草原地帯で、現在も樹木というものがない。「会社」は植樹などの無駄な投資には関心がない。したがって、イギリス政府も一定の条件(例えば、イギリス系住民の自治の許容)の下で譲渡することを考えていたが、アルゼンチン側が無条件を主張して停滞していた。
1981年に大統領に就任したガルチェリ将軍は民衆の不満をそらす目的でフォークランド奪回に乗り出した。戦闘は激しかったが、サッチャー首相の決断で本国から長途機動部隊と海兵隊を派遣してイギリス軍が勝利した。大野望を実現するにはアルゼンチン側の計画は杜撰だった。フォークランドの東約1500キロの大西洋上のイギリス空軍基地サウス・ジョージア島を事前に占領しておきながら、簡単に奪還されて勝機を失った。一方でイギリスは国連その他の場で国際世論を味方につけた。フォークランドは今も羊毛の輸出で乏しく生きている。
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