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2019-03-07 00:00
(連載2)民主主義に内在する危険
松川 るい
参議院議員(自由民主党)
韓国は明らかにフランス型なのだろう。大統領は安寧にその末期を終えたことがない。パククネ大統領は未だに牢獄の中だ。そして、世論(国民情緒法)が最高法規であり、明らかに法や合意を軽視している。慰安婦合意や日韓請求権協定を反古にしても平気なのは、そして、前政権に連なる人々を最高裁判所長官までどう考えても法的に無理がありそうなパージをして平気なのは、そもそものあるべき民主主義のかたちが全く日本と異なるからだ。大衆の熱気や感情に身を任せる政治といえる。そして、それこそが民主主義だと思っている。逆に日本は英国型である。少なくとも自民党政権下では。日韓の相互理解が難しいのは、見たい歴史が違うということに加え、民主主義についての在り様が全く違うところにもあるのだろう。
自民党と共産党や立憲民主党といった左派野党の憲法観がずれる理由も、今回、英仏の民主主義の違いを勉強してみて少しわかった。左派野党は、政府とか国家というものは本質的で悪であり、それを制限するために憲法があると考える。それこそが立憲主義だというのだ。実にフランス(革命)的である。当時、フランスに憲法がないことを残念がったフランス革命指導者シェイスは、しかし、「イギリス憲法においては貴族と庶民とが敵対関係にあるとは考えられていない」ことを英国憲法の短所と捉えていた。民主主義について、一つの共同体の内側に、常に上限の対立を見出し、上に立つものを倒さねばならないとするイデオロギーなのだ。他方、自民党は英国的である。英国では、王と土着領主は均衡しながら共存するのであり、王(政府)の存在は、民衆(国民)と対立すべきものではない。英国古来の憲法を明文化した「権利章典」は、「ウェストミンスタに召集された僧俗の貴族及び庶民によって作成され宣言されたもの」と強調され、一つの「幸福な共同体」の健全な政治運営を目指している。自民党も、政府や国家を個人と対置させて悪だと捉えていない。だから、憲法には日本の「国のかたち」や共同体としての理想を書くべきだと考えるのだ。
民衆は、指導者を求めるくせに、その指導者が強力になれば必ずこれを悪玉にして引きずり降ろそうとする性癖があり、これは、民主主義に内在するもう一つの性格であるとの長谷川氏の指摘に膝をうった。曰く、「アテナイの市民たちは、何かしらの失意に自己確認の必要を感じるたびに『僭主』を見つけ出し、彼を血祭に挙げる」。アテネでさえ善政のリーダーを何度も追放したり、失脚させたりしている。それもつまらない理由で。塩野七生のギリシア人の物語にも、「形は民主政でも実際に統治するのはただ一人」と言われようが意に介さず、アテネの黄金時代を築いたペリクレスが、強大になりすぎたと民衆が感じるやその地位を追われそうになる。ペロポネソス戦役においてシラクサに遠征中のアテネ軍の司令官である「ストラテゴス」(大統領のような政治リーダー)のアルキビアテスは、神々の像の頭が切り落とされる事件の犯人ではないかという疑惑のせいで、戦闘の最中にアテネに呼び戻されたなど、枚挙にいとまがない。たとえば、戦争中の司令官を犯罪の容疑で呼び戻すということはローマ帝国ではありえなかった。安倍総理がプーチン大統領との山口における首脳会談に臨む当日の前夜に国会では野党が内閣不信任決議を出して夜中まで総理を拘束していた。これも、民主主義の中に内在する強すぎるリーダーを引きずり下ろす性癖の表れなのだろうか。
結局、民主主義が期待されるように機能するためには、謙虚さ、公正さに対する感性が必要だということなのだと思う。英国式に言えば、コモンセンス(良識)とか伝統、慣習に対する敬意である。まだまだ、勉強しなければならないが、これまで当たり前だと思って考えずに受け入れてきた様々な価値や制度もその本質について掘り下げて考えるという精神態度でなければならないと改めて考えさせられた。(おわり)
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