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2019-05-25 00:00
試練に立つ理念国家アメリカ
山西 隆
会社員
5月23日付けの古村治彦先生のご論考「英語しか話せないアメリカ白人の苛立ち」を拝読し、改めてアメリカ合衆国という国の成り立ちについて、いろいろ考えさせられました。古村先生は「英語を話すことは、こうした白人たちにとっては、アメリカの歴史である専制と戦い、自由と平等(あくまで理念的なものですが)を勝ち取ったことを象徴して」いる、と指摘されておりますが、これは「北西ヨーロッパに家系のルーツを持ち米国建国の担い手となった集団」と定義される、いわゆるWASP(White Anglo-Saxon Protestant)の見解についてお示しになっているとお見受けします。
考えてみれば、アメリカは、世界史上、初めて近代的価値を基本理念として建国された人工国家であります。そして、その崇高な基本理念ゆえにアメリカは実体としての国家である以上に、いわば抽象化された正の価値を宿した記号として機能した面が少なくないように思います。「文明国家アメリカ」という記号です。こうした記号化されたアメリカについて、たとえば作家の司馬遼太郎さんは、次のような含蓄ある文章で見事に表現されています。
「いまもむかしも、地球上のほとんどの国のひとびとは、文化で自家中毒するほどに重い気圧のなかで生きている。(中略)いまはアメリカで市民権をとることが容易でないにせよ、そのように、文明のみであなたOKですという気楽な大空間がこの世にあると感じるだけで、決してそこへ移住はせぬにせよ、いつでもそこにゆけるという安心感が人類の心のどこかにあるのではないか」。(司馬遼太郎『アメリカ素描』より)司馬遼太郎さんは、このように高度な文明論的次元でアメリカを捉えられており、その限りにおいては、たしかにアメリカは人類に希望や夢を与え続けてきた存在といえましょう。しかしながら、同時にアメリカは、生身の人間がふつうに暮らしている政治的・社会的な実在でもあります。
人間が人間である以上、いくら崇高な理念を掲げて建国された国であっても、そこには人間臭い差別や嫉妬が渦巻く社会が形成されることは避けられません。建国の担い手であったWASPは、やがてこの国の支配的存在となりました。ここにアメリカという国のジレンマがあるといえます。すなわち、近代的理念に基づき建国されたアメリカは、WASPによって牽引されてきたものの、しかしながら、その掲げる理念の普遍性ゆえに、WASPによる支配そのものの正当性までが問われ始めたということです。そして、その結果、ある種の分断や緊張が国内に顕在化し出したといえます。情報化が高度に進んだ今日では、美しく抽象化されたアメリカよりは、実態としてさまざまな問題を抱えるアメリカのほうが、人々の目につきやすい状況にあります。しかし、われわれとしては、依然、世界史的な次元において、アメリカという大きな実験をなんとか成功例として守っていく努力も怠るべきではないでしょう。
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