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2019-07-01 00:00
(連載1)G20開幕とベルサイユ条約100周年
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
6月28日から大阪でG20が開催された。日本にとっても貴重な国際会議のホスト役の経験になった。ところで6月28日が何の日か熟知したうえで、この日程が組まれたのだろうか。G20の開幕日は、1919年6月28日。第1次世界大戦の終結を記したベルサイユ条約が調印されてから、ちょうど100年の日だ。ちなみに第一次世界大戦の端緒となったサラエボ事件が起こったのも、1914年の6月28日だった。
2014年6月28日には、サラエボ事件100周年を記録する式典がヨーロッパでは行われていたように思うが、今回は主要国の指導者がそろって大阪に集結してしまっているので、何もヨーロッパでは開催されなかったのだろうか。今のところそのような話をメディア報道で見ることはない。ベルサイユ条約の重要性については、日本では過小評価されている印象がある。1919年、ベルサイユ条約の一部として国際連盟規約が締結された。実質的に国際連盟の活動が始まったのは翌年の1920年だとしても、国際連盟規約の枠組みが成立したのは、G20の開幕日からちょうど100年前の1919年6月28日だ。
日本で開催されるG20が理由で、人々がそのことを思い出さなくなるのだとしたら、いささか残念である。日本は戦前に「ベルサイユ体制の打破」を唱えるドイツのヒトラーと共鳴して、第二次世界大戦の過ちを引き起こした。そもそも国際社会の強い期待を集めて設立され、1920年代にはそれなりの成果を出しているとみなされていた国際連盟が、崩壊に向けて進み始めるようになったのは、日本が引き起こした満州事変によってだ。日本人が意識している以上に、ベルサイユ体制/国際連盟がたどった運命と、日本の歴史は、密接に連動している。
ベルサイユ条約は、特に国際連盟は、1918年に「14か条の平和原則」を打ち出していたアメリカ大統領ウッドロー・ウィルソンのリーダーシップによって、生み出された。1919年の韓国の3・1独立運動も、中国の5・4運動も、ウィルソンが表明した民族自決の思想への期待から生まれてきたものだ。ウィルソンは「Constitution(通常は「憲法」と訳すが原義としては「政治共同体の根本原理」)of the League of Nations(国際連盟)」の草案を携えてパリに乗り込んだが、最終的な文言は、ヨーロッパ人たちの意見をだいぶ取り入れたものになった。(つづく)
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