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2019-07-02 00:00
(連載2)G20開幕とベルサイユ条約100周年
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
しかしそれでもアメリカの覇権的な力を背景にした国際社会の構造転換は、やはり1919年から始まったと考えるのが、正しい。国際連盟規約は、次のような文言から始まる。「締約国は戦争に訴えざるの義務を受諾し、各国間における公明正大なる関係を規律し、各国政府間の行為を律する現実の基準として国際法の原則を確立し、組織ある人民の相互の交渉において正義を保持し且つ厳に一切の条約上の義務を尊重し、以って国際協力を促進し、且つ各国間の平和安寧を完成せむがため、ここに国際聯盟規約を協定す」。
1928年不戦条約及び1945年国連憲章で発展していく戦争違法化の思想は、前文における宣言という形ではあったが、すでに国際連盟規約において高らかに謳われていた。日本の1945年日本国憲法は、1919年国際連盟規約や1928年不戦条約、及びそれらの継承発展条約である1945年国際連合憲章の影響下で作られたものだ。日本の憲法学者たちは70年余にわたって、その事実を隠蔽するか、最大限に過小評価するための社会運動を組織し続けてきた。戦争を否定しているのは、ただ日本国憲法だけであり、世界の諸国は戦争を肯定し、交戦権を行使している、といった乱暴なプロパガンダ運動を行い続けてきた。しかも公務員試験や司法試験や国立大学教員人事などの権威的なチャンネルを通じて、せっせと日本社会にプロパガンダを広げる努力を続けてきた。
しかし、憲法学者に盲目的に付き従う気持ちを整理して、客観的かつ素直に歴史を見てみれば、1919年国際連盟規約、1928年不戦条約、1945年国連憲章と連なる国際法の系譜の延長線上で、1946年日本国憲法が起草されたことは、否定しえない事実なのである。疑いの余地はない。日本の国家体制も、実は1919年6月28日に規定されている。憲法学者になろうとしたり、司法試験や公務員試験を受験しようとしたりするのでなければ、そのことに気づくのに、特段の努力は不要である。
日本国憲法によって国際法を否定するというガラパゴスな社会運動のために、日本は、戦後の長きにわたって、ベルサイユ条約を誤解し、国際連盟規約を誤解し、そして日本国憲法を誤解する国になってしまった。ベルサイユ条約/国際連盟規約から100周年の2019年6月28日は、「ベルサイユ体制の打破」を唱えた戦前の日本のイデオロギーだけでなく、国際法を愚弄し続けてきた戦後の日本の憲法学のイデオロギーを、客観的に反省し直すために、最も適した日であるかもしれない。(おわり)
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