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2019-07-22 00:00
(連載2)「境界線」に立つ香港人
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
そうした中、今回の香港での大規模デモについて考えてみよう。民俗学に「境界論」という考え方がある。人間は、何かの境界線上に身を置いた際に、不安定さを感じ、不安、そしてストレスを覚えるという理論である。大学受験を例にとれば、志望校に点数も偏差値も完全に足りていない生徒は、結果は目に見えており、なんら不安を感じることはない。むしろ境界ぎりぎりにある生徒が、合格発表までの間、大きな不安やストレスを感じることになるのだ。
さて、現在、そのような「境界的な不安」を感じているのが香港人ではないだろうか。日本は独立した主権国家であるが、香港は「一国二制度」という中途半端な状態にあり、そのバランスが崩れれば、この制度は名ばかりとなってしまう。まさに「境界的状況」といえよう。そうした不安定な状況に置かれた香港の人々は、ひとたび政治権力が自分たちに対して強硬な姿勢を示した場合に、一気に激しく抵抗することになることは当然である。
今回のデモに参加している香港人にとって、警察権力によって鎮圧されるということは、ひいては習近平政権に屈することにつながり、そのことが何より許せないということになるのではないか。実際に香港人の方が、チベットやウイグルよりも大規模な抵抗をしているように感じるし、また、天安門事件以降の民主化運動家よりも大きな抵抗力を示している印象がある。
香港は、ちょうど天安門事件の時の本土のような過渡期に入っていて、その中で共産党政権が望むのとは反対の方向に進もうとしているといえる。そうした抵抗であるから通常のデモよりも規模も大きくなるのだ。ところで、「習近平政権に批判的」という点では、同時に台湾も似たような状況にある。その場合、日本として、そうした台湾に対して、いかなる対応が可能か、あるいは必要なのか。日本はこの点において、ある種の「境界」にあるのではないだろうか。(おわり)
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