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2007-07-24 00:00
国際化と日本語放棄論について
岡本幸治
大阪国際大学名誉教授
「百花斉放・百家争鳴」は、経済建設において知識人の協力が必要となったので1956年に中国共産党(以下、中共)が唱えた言論自由化政策であるが、中共批判の言論が噴出するのを見るや毛沢東は「反右派闘争」を指令し、徹底的な弾圧に転じて、批判分子を粛正した。経済自由化が進んだ今でも、中国では中共批判の思想的自由を認めず、この方針は貫かれている。幸いにして我が国では、体制批判の自由は、権力者の揚げ足を取って商売に結びつけようとするメディアの自由まで含めて、有り余るほどにある。この政策掲示板「百花斉放」欄は、知識人の侃々諤々の自由な言論を通じて日本の直面する諸課題を多様な観点から検討する目的で設けられたものだと理解するが、「斉放」された個々の言論を縦横に切り結ぶ「争鳴」が、もっとあって良いのではなかろうか。
現実的・微温的な言論が多い中で、小山清二氏の6月27日付けの本欄に対する投稿346号の日本語放棄論は近頃珍しい先鋭な問題提起であった。「世界性、迅速性、明瞭性をもたない曖昧情緒的な日本語は欠陥言語だ」と断じ、国民性の変革と日本の発展のために「日本語を捨てよ」と主張する。結論から言うと、私はこの明快かつ日本語に関する一面的な断定には残念ながら同意しないが、日本語論をここで十分に展開する紙面はないので、代わって敗戦後の混乱期にマッカーサーの要請に応じて派遣された「米国教育使節団」の報告書(「民主教育のバイブル」として戦後教育に大きな影響を与えた)が提示した、急進的な国語改革策を紹介する。
報告書は「書かれた形の日本語は学習上の恐るべき障害である」と断定し、生徒は多くの漢字を覚えるために法外な時間を割かなければならなかったから、暗記中心の日本人には科学的思考などが育たなかったとする。「国家の孤立性と排他性の精神を支える言語的支柱」に代わる提案は、仮名よりも「民主主義的市民精神と国際的理解の成長に大いに役立ち」「国境を超えた知識や思想の伝達のために大きな貢献をする」ローマ字の使用勧告である。
文部省はその勧告に従って教育実験を重ね、小学生の私は運悪くその実験材料にされたが、結局の所、漢字仮名交じり文の基本を変えることは弊害が大きいとして採用されなかった。「報告書」の改革提案には、大戦に勝利して自国の文化や価値観を過信していた米国人の単細胞思考が見て取れる。敗戦後の日本には、フランス語を国語とせよと言う日本人作家も出現したのだ。文明開化以来浸透していた「西洋礼賛型敗戦後遺症」の現れである。
これに当世流行の「国際化・合理化コンプレックス」を加えた「複合型劣等症候群」が、戦後六十年にして小山氏のユニークな日本語放棄論を生んだと解釈しては、差し障りが大きいだろうか。小山氏に考えて頂きたいことのひとつ。それは、中共政権が漢字を放棄して音標文字化を進めようとしながら、結局中途で断念して、漢字の簡略化(中国式仮名化といってよい)で終わったのは、一体なぜだと思われるか。
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