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2019-07-26 00:00
「タラワの戦い」76年目の鎮魂
鍋嶋 敬三
評論家
第二次世界大戦中、太平洋のタラワ環礁で戦死した米兵22人の遺骨がハワイに帰還した。米国防総省の捕虜・行方不明者調査局(MPAA)が2019年7月17日に発表した。ギルバート諸島の同環礁(現キリバス共和国)は米軍が日本本土空襲を狙う戦略要衝だった。日本軍は海軍陸戦隊を中心にした2600人に基地設営の労働者2200人程度の小規模な守備隊だった。米軍は戦艦3隻、巡洋艦5隻を含む大艦隊を集結、海兵隊を中心に3万5千人の大兵力を投入。1943年(昭和18年)11月、76時間の激闘の末、司令官の柴崎恵次少将が戦死、日本軍は全滅した(戦死者4700人)。米軍の死者は1000人にとどまったが、4日間の凄惨な戦闘で大損害を被った。米戦死者はその場で塹壕に埋められ、即席の墓標は木の棒や銃口を上に向けたライフルで、米国内でも「恐怖のタラワ」として記憶にとどめられることになった。
米国は第二次大戦に1600万人が出征、40万人が戦死した。DPAAの資料によると、7万2692人が行方不明のままで3万人分は遺骨収集可能としている。戦死者5万4000人を出した1950~53年の朝鮮戦争では米軍の5300人がいまだに行方不明で、北朝鮮に対して遺骨の捜索を要求してきた。トランプ大統領と金正恩労働党委員長との首脳会談の結果、2018年7月、北朝鮮は米兵の遺骨55体分を棺に収めて米国に返還した。しかし、2019年2月の首脳会談(ベトナム・ハノイ)が物別れに終わった後は遺骨収集に関する北朝鮮からの連絡が途絶えた。遺族にとってかけがえのない遺骨の返還も国際政治の駆け引きに翻弄され、犠牲者は安らかな眠りにつけないでいる。
日本でも遺骨の収集は「国の責務」(厚生労働省)として実施されてきた。同省によれば、第二次大戦で310万人が死没、そのうち海外(沖縄、硫黄島を含む)戦没者は240万人中、128万柱を送還したが、それも半数強に過ぎない。未収容の遺骨112万柱のうち、海に沈むなど収容不可能な遺骨を除く59万柱が収容可能だと推定している(2019年6月末現在)。厚労省はタラワ環礁には2009年に慰霊巡礼団、2014年には遺骨収集のため職員を派遣した。しかし、「戦後」も74年目を迎え、戦友や遺族の老齢化などで遺骨情報は減少する一方である。2016年(平成28年)戦没者遺骨収集推進法が成立、政府は推進のための基本計画を閣議決定した。その後、戦後80年を目途に2019年から6年間を「集中実施期間」と定めた。遺骨収集の実績は年を追って減少している。2013年度は2521柱だったのが、2018年には3分の1の836柱(暫定値)にまで落ちた。
旧ソ連抑留死亡者やモンゴルでの埋葬地調査も行われているが、特に広大な太平洋に点在する南方戦闘地域の埋葬調査は困難を極める。政府は米兵の遺骨収集事業を担っている捕虜・行方不明者調査局(MPAA)と協力覚書に署名、遺骨の所在やDNA鑑定などについて情報交換や技術交流を進める体制ができた。フィリピンやインドネシアとも協力協定や覚書に署名したことで、円滑な遺骨収集事業の推進を期待したい。厚労省は遺骨収集推進の方向性をとりまとめるための有識者会議を2019年5月から7月25日まで4回開催したが、遺族会や法医学者など関係者の合意を早急にまとめるとともに、外務省や防衛省とも連携し、国内外の遺骨収集体制をさらに充実させる必要がある。国家の存亡をかけて、家族の将来も含めて取り返すことのできない大きな犠牲を払った英霊を故国に送り返すことは、国に課せられた重大な使命である。間もなく戦後74年の鎮魂の日を迎えるに当たり、政府はその決意を新たにして収集の実績を上げてもらいたい。
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