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2019-08-02 00:00
(連載2)「主権者教育」のあり方を問う
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
「信託」は、ジョン・ロックの社会契約論を基本とし、アメリカ独立宣言で謳われた社会契約思想を指していると考えるのが、本来は最も自然だ。ジャン・ジャック・ルソーが「イギリス人は選挙の時だけ自由だが、議員が選ばれるや否や奴隷となる」と述べたのは、あまりにも有名だ。ルソーの影響が強いフランス革命は、イギリス流の古典的な自由主義を克服しようとする運動でもあった。国民を真の主権者にするために、ルソーは「一般意思」説などを唱え、イギリス流の古典的な社会契約論を作り替えようとした。主権者・国民は、選挙の時以外でも、主権者として振る舞わなければならない。それに従わない主権者は罰せられることもある。主権者は自由であるように強いられる、というのが、ルソー=フランス革命の思想である。
これに対して、エドマンド・バークのような同時代のイギリス人は、フランス革命の思想を危険な空理空論として警戒した。国民全体が主権者として振る舞うことは不可能であり、最悪の場合には、それは国民を操作して動員する権力者たちが牛耳る全体主義に陥る。極度に抽象的な国民主権論などよりも重要なのは、選挙を通じて与えられた「信託」に忠実に政府が行動することを確証する仕組みを作ることだ。政府は人々の自由を守り、安全を保障する。そのために必要な政策は、政府が考え、実行する。いちいち主権者・国民が「われわれが主権者であるから、われわれ自身が行動していることにしなければならない」などと出しゃばる必要はない。重要なのは、「契約」である。
日本国憲法は、その文章や、起草の経緯を考えれば、疑いなく英米流の社会契約論を基盤としたものだ。「信託」が「一大原理」として書かれているのは、そのことを示している。ところが、その本当の日本国憲法を日本の憲法学者たちは長きにわたり隠蔽し続けてきた。アメリカの独立宣言ではなく、フランス革命こそが日本国憲法の基盤であるかのように説明してきた。ロックではなく、ルソーが日本国憲法に影響を与えたかのような解釈を「通説」とする態度を日本社会に広め続け、学校教育もその影響下に置こうとし続けてきたのである。日本の憲法学は、いわば「主権者教育」の総本山かもしれない。
『主権者は、放っておけば選挙の時以外は奴隷だ。常に主権者として振る舞うように「教育」されなければならない。』まさに教育論『エミール』を執筆したルソーにもつながるような思想が、「主権者教育」の考え方の背景にはある。残念ながら、この憲法学通説を基盤にした「主権者教育」は、若者を魅了しきれていない。しかし、だからといってさらに大声で若者を説教しようとするのは、やめたほうがいい。むしろ必要なのは、憲法学通説の妥当性とともに、「主権者教育」の妥当性も、あらためて見直すことなのではないか。(おわり)
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