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2019-10-17 00:00
(連載1)日本の「トロッコ問題」から目を逸らすな
伊藤 洋
山梨大学名誉教授
毎日新聞の先月29日の紙面にいわゆる「トロッコ問題」に関する記事があった。それによると、山口県岩国市の小・中学校で、「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」を問う思考実験を資料にした授業が行われたが、小学校の児童がその授業に不安を訴えた。そして、保護者から指摘が出るに至り、両校の校長が児童・生徒の保護者に文書で謝罪したというのだ。
「多数の犠牲を防ぐためには1人が死んでもいいのか」というのが、いわゆる「トロッコ問題」と呼ばれる1960年代に話題になった「倫理学問題」の一つである。トロッコが進む線路の先に分岐ポイントがあって、その一方の線路上には5人、もう一方には1人の人間が縄で縛られて横たわっている。トロッコがこのまま進むと5人が轢死することになっている。しかし、線路脇にある転轍機レバーを引けばポイントが作動して轢死者は1人で済む。こういうシステム条件の下で、転轍機を扱う役目が与えられたら君はどうするか、というのが「トロッコ問題」の問である。
記事によれば、学校が採用したスクール・カウンセラーが小学校高学年と中学校2、3年生を対象にこの倫理問題で授業を実施したところ父兄から疑問が寄せられたというのが上記の記事である。確かに、少なからず刺激的に過ぎて、この対象年齢の児童・生徒には適切とは言い難い。というのも、これは答えを二者択一で求める筋の問題ではなく、それでいて「ダモクレスの剣」のように今や現代社会の最も深刻な問題として、世界市民が突き付けられている難題であり、大人たちこそこれについて深刻に考えるべき「課題」ではある。
現在、アメリカを筆頭にして、核大国は「実用的」な核兵器の開発にしのぎを削っている。というのも、戦略核を使用すると、敵を完全に掃討できたとしても自ら高濃度の放射能と荒れ狂う「核戦争後の地球」に生きることになるからだ。勝者となればこそ確実にして緩慢なる死を見つめながら断末魔を生きざるを得なくなる。そこで考えられた手段が、「手軽に使える」小型核爆弾を作るという選択である。これは、「トロッコ問題」の「五人」が横たわる線路(戦略核体系)か、それとも「一人」が寝ている線路(小型核)のどちらが実戦的で有益かという議論に他ならない。(つづく)
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