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2019-10-22 00:00
(連載1)次期首相候補ですら不充分な憲法への理解
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
「国際法における『軍』など」(『アゴラ』2019年9月27日)というネット上の石破茂氏のコラムを読んだが、憲法改正をめぐる議論もかなり行き詰まってきたな、と感じる。自民党の中ですらこの状況なのだから、憲法改正の可能性は低いと見積もらざるを得ない。石破氏は、「自民党総務会において正式に党議決定された自民党案」に固執する。正直、この野党時代の自民党の「自民党案」こそが、改憲反対派に勢いを与えてしまっている代物である。
石破氏は、次のように述べる。「『軍』は本来、三権以前の自然的権利である自衛権を体現する。よって、国内法執行組織である行政と同一ではない。ゆえに『文民統制』と言われる、国民主権に依拠した司法・立法・行政による厳格な統制に服さなければならない。これが国際的な常識であり、国際社会においては至極当然のことなのです。我が国の憲法はこの国際的な原則をまったく無視して作られています。『自民党案』が提起しているのは、すでに我が国に定着している『自衛隊』のあり方を、このような国際的な原則に合致できるように改正しよう、ということなのです。」
石破氏は、「三権以前の自然権的権利である自衛権」という独自の概念が「国際的な常識」だと主張する。大変特異な主張である。これは少なくともこの概念について詳細な説明をご自身で施すべきであるが、根拠は何も示されていない。ちなみに、国連憲章51条は「個別的又は集団的自衛の固有の権利」を定めているし、国連憲章制定以前から存在した権利としての自衛権の存在については「慣習法」を言えば足りる。なぜならば、「条約」と「慣習」だけが国際法の二大法源だからだ。果たしてその二つの法源で成り立っている国際法のどこに「三権以前の自然権的権利である自衛権」が「国際的な常識」であると断言するための根拠があるのか。
石破氏によれば、「軍」は「三権以前の自然権的権利」を行使するがゆえに「文民統制」に服さねばならないのだという。自民党憲法改正案は内閣総理大臣を「国防軍」の「最高指揮官」とするので、つまり「軍」は「行政権」の一部ではないが「文民統制」をかける必要からやむをえず行政府の長である内閣総理大臣を借りてきて「最高指揮官」に据えておく、という考え方だ。この考え方では、「軍」にとって「最高指揮官」は借り物でよそ者なのである。ということは、防衛大臣もよそ者の行政権からの借り物なのだろうか。となると防衛省という組織も行政権からの借り物なのだろうか。この通りだとすれば、石破氏は戦前の大日本帝国憲法の「統帥権」時代の発想で「軍」を考えている。つまり、「石破氏は大日本帝国憲法こそが『国際的な常識』だと思っている」と見做されてもおかしくないことを主張しているのだ。大変なことを言っているのである。(つづく)
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