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2019-10-24 00:00
小泉進次郎大臣はすべからく脱「ポエム」を目指せ
木村 勉
年金生活者
昨日、即位礼正殿の儀が執り行われ、今上天皇が即位を内外に宣明された。世の中の言葉を「実」の言葉と「虚」の言葉に分けるとするならば、陛下のご宣明ほど「実」のこもった言葉はそうないかもしれない。だから広く内外の人々の心に強く訴えただろうことは想像に難くない。ともあれ言葉というのは、平易であろうと晦渋であろうと、こなれていようと拙かろうと、「虚」は「虚」でしかないし、「実」はやはり「実」であり得るのだ。その点、政治家の言葉はどうだろうか。政治家の発言がもちうる陰陽の影響力を考えると、ときにその内容が、高度に抽象的で「無難」であることもある程度は致し方ないことかもしれない。しかし、その言葉が「虚」であってはならないと考える。
そんなことを考えるきっかけとして、最近の、小泉進次郎環境大臣のいわゆる「ポエム」発言が念頭にある。氏の発言に対しては、最近にわかに「言語明瞭、意味不明」(東京新聞9月30日)などとメディアにたたかれるようになり、やや逆風が吹いている気配だ。氏の発言は、何であれ、その理念をあくまで「イメージ」として聴衆に伝えることに力点が置かれており、無難で失言がほぼない反面、話に明確な方向性がみられないことに特徴がある。だから「ポエム」と言われる。これまでも氏の発言にはそうした特徴があったはずだが、入閣を機にメディアはやや厳しめの評価を下すようになった。 とはいえ、私は小泉進次郎氏をただ批判する気はなれない。小泉進次郎氏の「ポエム」話法は、実のところ、高度に大衆化された現代社会において、政治家として生き延びるために洗練に洗練を重ねたそれだと個人的には考える。
イデオロギー対立がなくなった現代社会にあって、有権者の政治家に対する判断基準も、かなり「適当」になった。とくに、インターネットでのSNSの普及に伴い、政治家の公私問わずあらゆる発言は重箱の隅をつつくような吟味を受けざるを得ず、かりに失言などしようものなら、その「いじり方」は尋常ではないレベルで執拗かつ「人民裁判」的となる。そして拡散されたそうした発言は電磁的記録として永遠にネット空間を漂うのだ。ゆえに、現代のそうした社会状況に合わせて、多数の有権者の心をつかみつつ、失言で火傷を負わないために「自己防衛」していくことも政治家には必要な処世術であるといえる。小泉氏の話法はそうした自己防衛の典型だと私には見える。また全般的に、国を問わず世の多くの政治家が優等生化、小粒化しつつあるのも、こうした時代状況と無縁ではあるまい。
とはいえ、やはり政治家には政治家としての永遠の使命というものがある。その使命とは、必要とあれば万難を排してある政策を具体化し実現していくことに他ならない。そこで、小泉進次郎氏であるが、いまや氏は環境大臣として入閣された。立法府にいた頃に増して、氏の発言には、当事者意識・決断力・責任感などが求められてしかるべきだろう。政治が本質的に国民の生命と財産の命運に直結するという意味で、「実」の営みであることは論を俟たない。その「実」の営みに対し「虚」の言葉で万事対応できるかのような幻想は、もちろん小泉氏はお持ちでないはずだが、氏がさらに政治家として大成されるためにも、やはり勇気を出して脱「ポエム」を敢行されることをお勧めしたい。そしてこれは大衆政治時代の政治家すべてにとってのゴルディオスの結び目であるのだ。
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