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2019-12-06 00:00
(連載2)「教育困難校」からみた日本の学校教育の課題
葛飾 西山
元教員・フリーライター
日本には一定の学力基準で一律に進学資格を付与する試験がなく、その選抜は、原則とした各高校に一任されている。その現実の中で、高校で学習するに足らない学力の生徒と分かっていて制度的な理由、経営的な判断に基づいて入学させた以上は、その状況改善の責任は教育委員会や学校法人が全て負わなければならない。決してその解決が、現場の教員の努力に一任されることがあってはならない。
とはいえ、解決に向けては、これといった方法論は確立されていないのが現状だ。単に中学校の学習を高校でやり直せばいいという問題ではない。生徒にも高校生としてのプライドがあるため、中学校の内容をやろうものなら、「バカにするな」という心情になり、生徒と教員の相互不信が生まれる。また、「あの先生は中学校のことしか教えられない」という目でなめてかかることもある。現場を経験すればわかると思うが、教員はなめられたら終わりである。こう述べると対処のしようがないように思えるが、救いもある。彼らは「勉強」ができないだけであり、やはり少しでも頭は良くなりたいという思いはある。ここで言う「頭が良くなる」とは、勉強ができる、できないではなく、利口になる、知恵をつける、と考えれば良い。たとえ学習指導要領の範囲を逸脱した内容のことであっても、物事の本質について分かりやすく咀嚼して伝えると、学力困難な生徒でも興味を持って食いついてくる。そこから彼らの興味や向上心をくすぐっていくのだ。
だが、そこで障害になるのが学習指導要領である。学習指導要領は、そもそも学力困難な生徒の存在を想定していない。あくまで標準的な高校を想定して作られたものだ。にもかかわらず、これは教育現場、教育困難校においてさえ拘束力を持つ。よって教員はここから逸脱しないように授業をしなければならないのだが、学習指導要領を遵守している限り、中学校のレベルにさかのぼる以外に方法はない。高度な数式を使って目の前の事象を説明できる不思議さに生徒が目をまるくするような授業はできない。彼らに教えるべきは、公式を覚えたり、年号を暗記させたりすることではないはずだ。
少人数指導や、個人指導ができるように教員を加配する行政的な支援は確かに必要である。たが、学習指導要領が想定していない、学力困難な生徒を意図的に高校に入学させた以上、時として学習指導要領を逸脱することも躊躇しない「超法規的」スタンスで彼らに「生きる力」となる知恵と知識を植え付けてゆくことも必要である。しかし、実際に「超法規的」な指導を現場に強いてはならないのであって、だからこそ、政府・国会には教育困難校の今を捉えた教育行政を可能にする法的措置を期待するのである。(おわり)
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