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2020-01-14 00:00
(連載1)フィンランドとバルト三国の微妙な関係
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
バルト三国は、いうまでもなくフィンランドの南に南北に並ぶ3つの国であり、北から順に、エストニア、ラトビア、リトアニアとなる。これらの3カ国がソ連から独立して以降、ロシアは、サンクトペテルブルクと飛び地のカリーニングラードとの間の連絡を、バルト三国を回り込むような海路で行っている。つまりバルト三国は、ロシアにとって、黒海と並ぶ重要な欧州への出入り口であるバルト海へのアクセスを妨げるように立地する国々である。ところで、昨年中旬、このバルト三国のひとつ、エストニアの内相ヘルメ氏がフィンランドの新首相マリン氏を中傷し、最終的にエストニアの大統領がフィンランドの大統領に謝罪するという事件がおきた。一国の重要閣僚が隣国の首相を中傷するというのは並大抵のことではない。この事件の背景がなかなか興味深い。
まずバルト三国は3か国ともに、北大西洋条約機構(NATO)・欧州連合(EU)および経済協力開発機構(OECD)の加盟国、通貨もユーロでシェンゲン協定加盟国である。歴史的に、エストニアやラトビアは北ヨーロッパ諸国やドイツと、リトアニアはポーランドとのつながりが深い。エストニア人は、フィン人と近縁の民族で、ラトビア人とリトアニア人はバルト系民族である。つまり、ロシア系の白系ロシア人、またはスラブ人とは違う民族なのである。このように民族的にはロシア人とは異なるにもかかわらず、バルト三国はロシア帝国やソ連などに幾度となく支配されてきた苦難の歴史がある。
他方で、フィンランドは、バルト三国と同様にソ連の強い影響を受けてきたものの、第二次世界大戦でソ連に屈服することなく乗り切ることができたために、バルト三国のようにソ連へ併合されたり、東側諸国のように完全な衛星国化や社会主義化をされたりすることがなく、現在に至っている。とはいえ、戦後はソ連の影響下に置かれることを避けることは出来なかった。ソ連の意向により西側陣営のアメリカによるマーシャル・プランを受けられず、北大西洋条約機構(NATO)にもECにも加盟しなかった。自由民主政体を維持し資本主義経済圏に属するかたわら、外交・国防の面では共産圏に近かったが、ワルシャワ条約機構には加盟しなかった。このフィンランド外交を「ノルディックバランス」といい、この成功があったからこそ現在まで独立を維持出来ている。
しかし、この「ノルディックバランス」そのものがバルト三国からすると「腹立たしい」という感じに映るのである。もちろん現在進行形でフィンランドにバルト三国が怒っているという意味ではなく、フィンランドの歴史が、独立をできなかったバルト三国からすると面白くないということだ。また同時に、「ノルディックバランス」は西側にも東側にも属さない「中途半端なバランス」であり、信用できない、というような印象をバルト三国の国民に与えていたのである。最も悪い言い方で、なおかつ本質は違うものの、語弊を気にせず言えば「北欧版事大主義」の体現者フィンランドは、その存在自体が、ソ連という強大国に運命を左右され犠牲を強いられてきたバルト三国国民にとってまったく愉快ではないといえる。(つづく)
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