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2020-03-30 00:00
コロナウイルス:日本は最悪の事態に備えよ
葛飾 西山
元教員・フリーライター
3月30日、お笑いタレントの志村けん氏が新型コロナウイルスの重症化によって亡くなったというニュースが飛び込んできた。子どもの頃からテレビで見てきた人が、発症から2日ほどで呼吸困難に陥り、隔離状態で集中治療室に入ってから1週間ほどで誰に看取られることなく亡くなったという話を聞くと、あまりに切ない思いとともに、此度のウイルスの恐ろしさに背筋が凍る思いを禁じえない。ご本人もまさか発症して2週間ほどでこの世を去ることになるとは夢にも思わなかっただろう。他の既に亡くなられた方と合わせてご冥福を祈るばかりである。それとともに、私が以前本欄に投稿した内容について、自己批判しなければならない点が一つある。
2月9日付の拙稿で、私は、中国政府が新型コロナウイルスの感染拡大について、「これは人民戦争だ」と対応したことを「いかにも中国らしい」と揶揄してしまった。今や全世界に拡散し、主要都市が封鎖され「これは見えない敵との戦争だ」と戦っている状況であり、私の認識は余りにも甘すぎたと反省せざるをえない。そして、日本も本来なら臨戦態勢に入らなければならないのではないかとの思いを強くしている。いつ、どこで、誰がウイルスに感染するかはもはや運次第と言うに近い状況は、ウイルスを弾丸と言いかえれば、戦時中、戦場はもちろん、内地でも突然飛来した敵機からの機銃掃射に身をかがめ、弾丸に当たるかどうかは運次第だったという状況と、そう違わないと言えるだろう。さらに厄介なのは、自分は発症しなくとも、保菌者となって身近な人にウイルスの弾丸を撃ち込むかもしれないリスクがあることである。
一旦、呼吸困難になって隔離されると、完治するまでは誰とも会えない。それは重症化して死に至る場合は誰にと会えないまま死体袋に詰められてこの世を去ることを意味する。愛する人、愛する子ども、愛するペットと突然このような別れかたをするのはとても切ない。そう思いながら周りを見渡すと、私も含めてほぼほぼ日常生活を継続しており、あまりに能天気ではなかろうか。非常事態宣言が出されたときは既に遅いのである。確かに首都東京が封鎖になれば経済的損失は計り知れない。しかし、いまは「命か金か」の選択の時と考えればどうだろうか。津波のときに経済的損失や財産の亡逸を考える人はいないだろう。「とにかく逃げろ」ではないだろうか。何事も「生きていればこそ」である。我々は新型コロナウイルスの津波の到来にさらされているように思えてならない。
断固とした措置を取れば、当然、各方面から猛烈な批判を受けるだろう。しかし為政者は、生命の安全の保障を附託されているのである。言うは易しであることは重々承知だが、政治生命がそれで終わるとしても、その決断をすることこそが為政者の職務ではないか。沈静化するのを待っている間に、一体、どれだけの人が罹患して、どれだけの人が命を落とせば良いのだろう。グロスで見たら死者○○人と、十把一絡げに扱われるが、それだけの悲しみが日々生まれ、これからも生み出されるであろうことを考えれば、もはや一刻の猶予もないのではないか。台湾を除き、発火点の中国も、欧米各国も初動の遅れ(隠蔽を図ったとは思わない。おそらく諸々の状況を勘案するうちに正常化バイアスが働いたのであろう)が、現在の非常事態の状況を招いた。非常事態になる前に先手を打って非常事態の対応をする。これ以外にないのではないか。非常事態になってから都市を封鎖しても遅いのはイタリアの都市の先例を見ても明らかだ。東京も戒厳令に近い都市封鎖、経済活動の停止が急務ではないか。
もしかしたら、明日は我が身かもしれない。過激な内容を書いたが、この投稿で述べたことが杞憂に終わることを、切に願うばかりである。
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