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2020-05-09 00:00
(連載2)COVID-19下の教育をいかに立て直すべきか
葛飾 西山
元教員・フリーライター
今の状況で、平時に措定されたカリキュラムに無理に合わせて、授業を行ったという事実だけを残しても、定着という中身を伴わなければ、それは文部科学省、教育委員会、現場教員もあわせて無責任というものである。ここは学習指導要領のさだめるカリキュラムを緊急に見直す必要があろう。例えば小学校4年生や5年生なら6月~6年生の3月までの中で学習内容を再配置するのである。6年生なら6月~翌3月まで、どうしてもカバーできないことは中学校に持ち越し、中学校のカリキュラムはそれを前提にして組み直し、入試もそれを前提にすることはできないか。最終的には高校3年生の学習に皺寄せが行くが、溢れた学習項目は、放送大学の教養課程で補い、受講料は無料とすればいい。身に付くかどうかを考えるなら、現行の平時の尺度に無理に詰め込むより、放送大学という機能もフルに活用すれば良い。ただでさえ卒業に必要な単位数の時間を確保する見通しが立たない以上、教室にいた時間を卒業要件にするような規定に縛られるのは甚だ無意味であろう。
ここは長期的スパンでカリキュラムを暫定的に「リスケ」するのが最善ではないか。30~40人学級での一斉授業は不可能であることを前提にして、文部科学省の専門官に力のある教員が加わってリスケをするのである。普通は、状況が変わって予定通りの見通しが崩れればリスケをする。教育も同じである。現場の経験をもとに考えれば、もはや短期での修復は不可能なのだから、長期的なリスケをする必要がある。そうすれば、ある程度、学校行事も確保できるようになる。そのかわり文部科学省には短期間でリスケのカリキュラムを仕上げてもらわなければならないが、それこそ中央官庁のするべき仕事であろう。
こういう議論をすると、必ず「○○の点で難しい」などの反対論が出てくる。先に「できない」理由や問題点を求める思考が働く。「各地域からの要望がまとまれば」というセリフをどこかで聞いたが、それは言い換えれば「まとまりそうもない」ことを前提に否定しているようにも聞こえる。学校で児童・生徒に教えることとまるで真逆である。なぜ「どのようにしたらできるか」という可能性や突破口を考えないのか。リスケすることに何の不都合があるのか。教科書と合わないからか。普段でも学校の先生は、必要に応じて前学年の教科書を使ったり、自作プリントをメインに使って授業をしているではないか。大きくリスケした方が先生は助かる。カリキュラムの縛りに合わせることに苦労しているのである。カリキュラムにある程度の拘束力があるのなら、そのカリキュラムを早急に暫定的に組み替えることは、国の責務である。
9月入学、遠隔授業の議論も良いが、緊急的・暫定的にカリキュラムをリスケすることも考慮にいれるべきであろう。国際的にみて遠隔教育の環境が立ち遅れている日本では、いまやIT環境の早急な施工が必要であるが、はたして1~2カ月で全校にまんべんなく行き渡らせられるか。ならばそれと並行して、現状を前提とした大きな改革案も模索すべきであろう。(おわり)
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