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2007-08-29 00:00
ODAは増額より中身の精査を
内田忠男
名古屋外国語大学教授
8月27日付け読売新聞が社説で、日本のODAについて「減らすばかりが能ではない」と論じている。来年は日本でアフリカ開発会議と洞爺湖サミットが開かれるのに、アフリカ向けのODA倍増(05年サミット)など数々の国際公約に背いて、日本のODA予算は減額の一途を辿り、過去10年で4割も減少したーーとし、「戦略的なODAを目指して増額への転換も検討すべき」と主張している。
ODAを外交戦略の上位に位置づける考えに反対するつもりはないが、気になるのは、この社説が「昨年は1位が米国、2位が英国で、日本は3位に後退した。10年には仏、独両国にも抜かれる」と心配していることだ。
申すまでもなく、ODAというのは本来、金額を競うものではないし、日本が90年代のように、常に世界のトップに位置している必要もない。我が国はいま、主要国の中では桁外れの財政赤字を抱え、企業会計の考え方で見ると、05年度で289兆円を超す膨大な債務超過となっている。この赤字を減らすためには、聖域なき歳出削減が喫緊の課題である。ODAにも、極力無駄を排して、より効果的な援助を実現することが求められるのであって、増額を検討する場合ではないと考える。
日本のODAは、かねてから無駄が多い一方で、援助をヒモ付きにして日本企業のビジネス拡大の方途にされたなどの批判が囁かれてきた。エネルギー資源の確保のため、資源保有国に大盤振る舞いを続けている中国への円借款など、もっと早くに終わらせるべきだったし、以前からの惰性で援助が続けられてきたものも少なくない。
いま必要なのは、援助の対象、中身、その効果と採算度を精査して、真に戦略的な援助を確立することである。JICA(国際協力機構)が新組織になったとは言え、それを構成する人事まで一新されたわけではない。「惰性」の援助が今も続いている気配も濃厚なままである。その意味で、前記社説が「プロジェクト選定から事業終了後まで、ODAがムダなく使われたのかどうかをチェックする評価する制度を強化する必要がある」としているのは正しい。増額以前に為すべきことが山ほどあることを忘れてはなるまい。
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