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2020-10-06 00:00
(連載2)日本学術会議問題、法的論点から問う
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
次に「学問の自由に、公的研究職や学術機関の自律が含まれるのは、一般的な解釈だ」という点を見てみよう。ここで木村教授が言及しているのは、いわゆる「制度的保障論」のことであると思われる。これは、基本的人権の主体はあくまで個人だが、制度を保障しないと個人の権利が保障できない場合には、制度の保障が人権保障の観点から正当化される、という議論である。大学の自治が学問の自由の観点から保障されるのは、大学などの学術機関の制度的存在が保障されなければ、学問の自由という基本的人権の保障も、絵に描いた餅に終わってしまう、という制度的保障論の考え方による。制度的保障論は、伝統的にドイツ法学の影響が根強い日本の憲法学で、数多くの議論がなされてきた分野だ。私は、この問題に精通した専門家を気取るつもりはない。しかし制度的保障論が、カール・シュミットの名と深く結びついていたり、ナチス・ドイツにも利用された経緯を持っていたりする概念であることくらいは、法律家の方々が知らないはずはない。制度的保障論の濫用を通じた不必要な制度保障は、かえって基本的人権を阻害する。これについては数多くの議論を行ってきた憲法学者の方々が、誰よりもよく知っていることのはずだ。制度的保障論を取り入れた憲法23条解釈を行って、いわゆる大学の自治といった制度的保障を認めていく「一般的な解釈」を根拠にして、「内閣総理大臣は推薦された日本学術会議会員候補の任命を拒絶することはできない」、という結論を導き出そうとする態度には、明らかに論理の飛躍があると言わざるを得ない。
今回の事件があって、私も初めて日本学術会議法なる法律を読んでみた。結果、素直な日本学術法の解釈は、次のようなものではないか。日本学術会議とは、「科学が文化国家の基礎であるという確信に立つて、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし」、「わが国の科学者の内外に対する代表機関として、科学の向上発達を図り、行政、産業及び国民生活に科学を反映浸透させることを目的と」した組織だ(同法前文・2条)。したがってこの組織の使命と目的は、学術活動を行うこと自体ではない。基本的人権を守ることでもない。日本の国家政策としての学術振興に寄与することが、この会議の使命・目的だ。この政治的性格のために、「内閣総理大臣の所轄」とされ、構成員の任命も内閣総理大臣が行うことになっている。ただ内閣総理大臣が法律の目的に沿って「優れた研究又は業績がある科学者」を適切に任命するために、同会議は新規の会員の推薦を行う(同法7条2、17条)。内閣総理大臣による適切な任命に寄与することが、会議に会員を推薦させることの法的趣旨だ。この際、任命者である内閣総理大臣は、推薦という寄与を受けながら、会員候補者が適切であるかどうかを審査する責任を持つ。内閣総理大臣は、当然、候補者一人一人の「研究又は業績」だけでなく、法の趣旨にしたがって、日本学術会議の使命と目的にも照らして、任命責任を遂行しなければならない。そうでなければ「経費は、国庫の負担」(同法1条3)である日本学術会議を「所轄」する者としての責任を、納税者や国民に対して負うことができない。そこに一定の裁量の余地が発生することは、当然だろう。
なお、日本学術会議法は、その前文と第2条で、「科学者の総意」や「わが国の科学者の内外に対する代表機関」といった文言を用いている。しかしこれらは「使命」と「目的」の一部として用いられている概念である。そもそも、どこにも「総意」や「代表」を確保する手続きがない。ならば、会議は「総意」を反映するように行動する使命を遂行し、「代表機関」として行動することを目的としなければならない、というのが法律の趣旨である。わかりやすく言えば、努力目標にすぎない。よって、「学者の国会」というのは、その努力目標の観点から述べられる比喩にすぎない。すなわち、「総意」を反映し、「代表」として行動するために不断の自省を含めた努力をせよ、という指針ではあっても、万が一にも「学問の自由」の不可侵を旗印にして「所轄」責任を持つ者に対しても絶対独立を主張する根拠を与えるのが、この法律の趣旨であるとは思えない。たとえば、会議が法の趣旨を逸脱し「科学者の総意」を受けて「わが国の科学者の内外に対する代表機関」として行動しているか疑問が残る会員候補を推薦してきた場合には、内閣総理大臣が任免拒否権を行使して、「使命」と「目的」を守ることを期待するのが、法の趣旨だ。「学問の自由」と「研究又は業績」だけが内閣総理大臣の判断基準ではない。もしそうだとしたら、内閣総理大臣を任命者に定めている日本学術会議法は、的外れで欠陥のある法律だということになる。「使命」と「目的」に照らした政策判断を行う責任を内閣総理大臣に求めているからこそ、任命の権限を内閣総理大臣に与えているのが、この法律の法体系の素直な理解だ。
結論としては、内閣総理大臣の任命拒否権の行使が違憲だとか違法だとかという糾弾は、控えめに言って根拠薄弱だと言わざるを得ない。ただし、この指摘は、政策論における結論を先取りするものではない。政治的重要性を鑑みて、内閣総理大臣は説明責任を果たすべきだ、任命拒絶の理由は政策論的観点から議論の対象にするべきだ、といった意見には、私も全面的に賛同する。尊敬すべき政治学者である宇野重規教授が「優れた研究又は業績がある科学者」である点には、いくぶんかの疑念の余地もない。疑う見方には断固として反対する。ただし仮に内閣総理大臣の行動に問題があるというのが議論の結論になる場合には、最終的には選挙を通じた民主的な審判を通じて、内閣総理大臣の行動の是正が図られるべきだ。それが民主主義国家のルールであり、日本国憲法を頂点とする日本の立憲主義の仕組みだ。いやあ実は選挙では勝てそうもないので、民主主義のルールを回避し、「学問の自由」云々といった話を持ち出して問答無用の攻撃をして、印象操作でとりあえず内閣支持率の低下を目標としよう・・・、といった態度は、邪道であり、有権者に対する裏切り行為である。(おわり)
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