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2020-11-25 00:00
(連載1)中国が「金体制」を最後まで支えるといいきれるか
荒木 和博
拓殖大学海外事情研究所教授
一般的に中朝関係というのは、親密で友好的であると思いがちでしょう。北朝鮮を一番バックアップしているのは中国だからです。ですが、実のところ、両政権はお互いにお互いのことが大嫌いなのであります。
北朝鮮の金日成は、中国に渡ってゲリラのような活動に携わりましたが、子供時代には中国の学校に通い中国語も流暢に話しました。中国の革命第一世代とも関わりがあって、親近感というほどかはわかりませんが、「めんどくさいけど、仕方がないよね」といった程度の親しさを感じていたようです。ところが、金正日が生まれたのは金日成がロシアに逃れた後ですから中国とのつながりというものはなく、メンタリティにおける中国への親近感を育むことはなく、大嫌いでした。これは金正恩も同じことです。金正日も金正恩も対米交渉に活路を求め、米国に靡くのは、ここに動機のひとつがあるということです。
北朝鮮と中国の関係を示す好例といえる出来事が起きたのは、2000年6月のことです。このとき、韓国の金大中大統領と北朝鮮の金正日総書記による史上初の南北会談が催されました。このときの金正日の意図というのは、「南は既に押さえた。南をてこに米朝関係改善に道を開きたい」ということです。同年9月に金正日は、腹心で朝鮮人民軍総政治局長だった趙明禄を訪米させてクリントン大統領やオルブライト国務長官との面会という破格の待遇を得ることに成功しています。これが翌10月のオルブライト国務長官の訪朝につながったというわけです。2泊3日の日程のあいだ金正日は彼女を連日エスコートする力の入れようでした。実はこのとき、オルブライト国務長官に先駆けて中国人民解放軍の遅浩田国防部長が平壌を訪れていたのですが、金正日はこれを相手にせず、オルブライト国務長官の離朝日にやっと会う程度でした。金正日はこのときに米朝関係改善に自信を深めたのですが、その目論見はもろくも崩れ去ってしまいました。その直後11月の大統領選挙でブッシュ政権が誕生してしまったからです。
この出来事は中国からすればこれは面子を潰されたようなものです。50年前、ともに戦い血を流した中国の代表団をほっぽらかし当時の敵だったアメリカの国務長官を大歓迎するというのは考えられないことです。金正日からすれば、米国との関係を深めることで対中自立の地固めをしていこう、そのためなら中国から不興を買ってでもやる価値があるということでしたから、クリントン政権の退陣は大きな誤算だったことでしょう。(つづく)
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