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2021-01-20 00:00
(連載2)コロナ感染動向が「人間的」な事象なのは明らかだ
篠田 英朗
東京外国語大学大学院教授
この正月の時期によって引き起こされた「疫学的に見ると異常な増え方」は、あらためて新規陽性者数の増加が「人間的、あまりに人間的」なものであることを痛感させてくれる。過ぎたことは、もういいだろう。感染拡大を防ぐために、全国民が、クリスマスはもちろん、正月も無しにするべきだった、と論じることは、可能だ。正月を放棄して、全てを感染拡大防止に捧げることだけをしなかった日本人がいたのは、全て菅首相の責任だ、政府の無策がこのような事態を引き起こしたのだ、と絶望や非難の雄叫びを上げることもできるのだろう。
だが全世界では、一日あたり約75万人、今月中には累計陽性者数は1億人の大台に到達する勢いで感染拡大を続けている。日本人が正月を正月として過ごしてしまって新規陽性者数が一時的な急増を見せたくらいで、絶望のどん底に陥り、政府を呪う言葉を吐き続けることを誓うのは、むしろ現実離れしている。死者数も増えているが、必ずしも異常値ではない。新規陽性者が増えているから、死者も増えている。今後も感染拡大を抑制する努力を続けていくしかない。私は、新規陽性者数が正月の山を下りているからといって、緊急事態宣言は不要だった、といった結論を出したいわけではない。政府は、緊急事態宣言解除の目安として、東京の一日当たりの新規陽性者数を500人以下にするという指標を掲げている。「医療崩壊を防ぐ」という、従来から日本が一貫して重視してきている目標を達成するために必要と思われる数値だということだろう。この数値に到達するには、しばらくかかると思われる。緊急事態宣言も、一つの方法だ。
過去1年近くの新型コロナとの取り組みの中で、日本人はこのウイルスの特性を理解してきている。そして人間的な取り組みで感染を避けようとしたり、人間的な気持ちで「正月くらいは・・・」と思ったりしている。緊急事態宣言下で自粛していることもあれば、自粛していないこともあるだろう。まずは日本人が自分たち自身で考えて行動する能力を信じ、それを支援する方法を講じていくしかない。緊急事態宣言は、共産主義化を図るための第一歩ではなく、感染予防を推進するための社会的雰囲気を醸成するための手段である。冷静に運用したい。メディアは相変わらず「外出者が劇的には減っていない!」などといったニュースを作り続けているが、いつまでも「人と人との接触が8割削減されるとウイルス撲滅」、「6割以下では感染爆発で数十万人死ぬ」、といった乱暴な物差しだけでニュースを作るのは、やめてほしい。新規陽性者数が増加すると、季節労働者のような「感染拡大期の煽り系の専門家」がメディアに登場してくる。感染が減少してくると休暇をとるようだが、拡大期に入ると荒稼ぎをする出稼ぎ労働者といってもいい類の専門家たちだ。私は、以前はこの人たちの言説をチェックしたりしていたが、もはや面倒でチェックもしていない。他の多くの人たちも、やはりそうなのではないだろうか。
他方、私は、尾身茂・分科会会長と、そのブレーン的存在である押谷仁・東北大教授については、「国民の英雄」と呼んで、称賛し続けている。尾身会長は、その堂々とした振る舞いから、菅政権誕生後は、首相よりも首相らしいとまで評価されている。尾身会長がいて、本当に日本人は幸運だ。尾身会長や押谷教授が素晴らしいのは、感染拡大が「人間的な」事象であることを理解して行動しているように見えることだ。ともにWHO西太平洋事務所でSARS対応に当たった経験を持つ公衆衛生のスペシャリストだ。私としては今後とも尾身会長や押谷教授のような、感染症の知識に加えて、公衆衛生が「人間相手」の作業であることを理解している方々の発言だけに注意を払っていきたいと思っている。それが本当に必要なことだし、それ以上はいらない。(おわり)
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