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2007-09-12 00:00
北朝鮮政策をめぐる米中日
坂本正弘
日本戦略研究フォーラム副理事長
ドン・オーバードーファー米韓研究所理事長は8月23日、日本国際問題研究所主催の講演会で、北朝鮮の核実験を巡る米中日の状況を述べたが、今後の日本外交を考える上で、極めて重要な状況の指摘があった。同氏は北朝鮮の核実験は外交の終焉かと思ったが、外交の始まりだったとした。すなわち、ブッシュ政権は06年末、北朝鮮政策を大きく変化したが、その最大の原因は06年10月9日の核実験だとした。ブッシュ政権は北朝鮮に強硬政策を採ってきたが、このままだと、北の核が増え、核実験が繰り返され、アジアの安全保障が損なわれ、核拡散を防げない。米国は北朝鮮政策の失敗を認め、米朝協議を進める外交に転換したというのである。同氏は、また、中国がこの過程で極めて建設的な役割を果たしたと評価した。
同氏によると、10月11日には胡錦濤の特使として唐家旋がホワイトハウスを訪問し、ブッシュ大統領に北朝鮮との直接交渉を強く勧めた。10月18日、唐家旋は金正日と平壌で出会い、10月20日北京を訪れたライス米国務長官に会い、ヒル次官補と金北朝鮮外務次官との会談を進めさせ、10月31日、米朝は中国の仲介で直接協議を行うことに合意した。その後、12月の6者会議を経て、07年1月に、ヒル・金の会談がベルリンで行われ、同地を訪れたライス長官は1月19日、ブッシュ大統領に直接電話し、米朝協議を進めることに合意を得た。2月13日には6者会議が開催され、米朝協議と平行し、非核化交渉の道筋となったというのである。
2006年10月の状況は、日本から見ると、8日の安倍総理の中国訪問、9日の韓国訪問の後、日本は米国と共同で国連安保理に北朝鮮核実験非難決議を提案し(9日)、全員の賛成を得て可決し(15日)、日米とも北朝鮮への制裁を強化した状況であった。18日にライス長官が来日し、米国は日本の安全を保障すると繰り返し、日本の核武装論議を牽制し、19日にはソウルで日米韓の外相会議が行われたが、この時点での米中直接協議の動きはみえてない。しかし、同長官は20日には北京で唐家旋とあい、オーバードルファー氏によると、31日には現在の路線が出来ていたことになる。
米国は2002年北朝鮮を悪の枢軸の一つと定義し、核施設への外科攻撃すら匂わせる強硬策を取ってきた。北朝鮮の譲歩を引き出し、その最終目標は政権交代かと思わせるものがあった。直接交渉を否定し、イラク情勢悪化の中で、6者会議を持ち、中国の影響力を活用する戦術であったが、2005年末からはバンコ・デルタの預金凍結などによる制裁の強化があり、06年にはミサイル・テスト、核実験のなかで更なる制裁強化があり、国際的にも北朝鮮は孤立化しているかに見えた。筆者は06年11月北京を訪問したが、中国側にも北朝鮮への強い非難があった。しかし、本年1月には、極めて有効だった金融制裁の解除が公表され、その後の米朝協議は進展し、日米関係にも大きな影響を及ぼしている。
大国米国にして出来る君子豹変であると思う。その原因にイラク情勢の困難、中間選挙での共和党敗退、ライス長官などの外交実績重視などを考えられたが、オーバードルファー氏によれば北朝鮮の核実験成功が米国の政策変更の最大原因だという。説得的である。問題は米国外交の変貌時期の日本外交の状況である。
安倍首相は政権成立後、上記のように10月に中国、韓国を訪問し、好評だった。07年の1月も欧州への訪問を行ったが、同盟国米国の訪問は5月になった。米外交の大きな変貌の時期である06年年末から07年初に、首脳会談をしなかったことが、現在の日米関係に大きな影響を与えていないか。同盟国の関係に甘えて、努力を怠たったのではないか。アジア情勢は極めて流動的であるが、昨年末以来の北朝鮮を巡る状況は、日本外交にとって、改めて的確な情勢の把握と適切な対応が極めて重要だということを示している。とくに、日米関係について肝要である。
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