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2021-06-09 00:00
(連載1)コロナ禍の五輪中止論を考える
宇田川 敬介
作家・ジャーナリスト
東京オリンピックについて、まず、大原則として私はコロナ禍とは全く関係なく、オリンピックが東京で行われることについてはあまり好ましいとは思っていないが、やると決まった以上は現状を鑑みて行うべきと思っている。そもそもコロナウイルスに負けた象徴になるような出来事は日本社会にとって良いことではない。よって、現在コロナが蔓延しているから東京オリンピックを中止すべきとする意見に関しては、全く納得できない。
そもそも、反対論の高まりと現実の市民の行動が一致していない。コロナ対策の面から東京オリンピック(に伴う経済活動)を絶とうと言うのは、居酒屋や外食店の営業制限などに関して文句を言い、公共交通機関で寿司詰めになりながら会社に出勤し、デパートや繁華街をにぎやかしている今の東京の市民の姿と整合性が取れない。片方でプロ野球のセパ交流戦を行い、サッカーの試合を観戦し、一方でオリンピックに関しては中止するなどということは、本音と建前の乖離が著しい。ロックダウンも何もしていない日本において、プロ野球が観客を入れて行い、映画館が自粛していることに抗議している人が、オリンピックを中止せよといっていることには、あまりにも矛盾を感じるものである。何を言いたいかというと、私が懸念するのは、「東京が混雑する」ことによるコロナへの影響というような個別の是非よりも、「日本国民は論理的に不整合」と他国に思われることだ。この不合理は歴史的に見ても日本の先行きにとって良くないシグナルであろう。
さて、コロナウイルスが世界大のパンデミックを起こした責任は、どこにあるのであろうか。現在、イギリスやアメリカは、中国武漢の研究所における発生(故意・過失を含む)の再調査を求めるようにしている。私は、コロナウイルスの発生に関しては、武漢の研究所の管理責任と、その後の武漢市における封じ込めの不徹底さが責められるべきと考えている。
そして、その後のWHOのリスクを過小評価し、中国が春節以降ウイルスを世界中にばらまくのを止められなかったことも忘れてはならない。現在、WHOが信用や権威を損ねたことは直接的には世界の保健を守りきれなかったこの一連のコロナ対応によるといえるだろう。(つづく)
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